剣道家をめざすセンセのぶろぐ。

「師弟同行」教うるは学ぶの半ばなり、、、どちらもまだまだです。

2012年 修行指導 剣道論

「稽古照今」:剣道の‘教え’を考える[7]

IMG_2440先般、ある同級生の会に参加したのですが、そこで実は呟きのフォローしてますとか、「ぶろぐ。」を読んでますとか、語りかけられ、、、一応匿名のはずなんだすけどと(笑)

それはそれとして、その翌日、クリスマス・イブだというのに、とある大会に参加してきました。
中学生の時も、高校生の時も拙い私には経験のない、、、結果的にはリア充なクリスマス・イブとなったことにします(笑)

こんな他愛もないことを考えてるものだから、、、

重要なところ、1本とらないといけない試合で、取りに行って取られるということで、、、しっかり1年の反省をすることとなりました。
チームのみなさま、申し訳ありません。
稽古あるのみですね、頑張りたいと思います。

そこで、すこし「稽古」という言葉を考えてみました。

剣道の練習、トレーニングなどは、「稽古」といいます。
ひろく芸道において、そうですね。
以前、以下の「稽古」に関するポストを書いたことがあります。

> 拙ぶろぐ:どうでもいいことかも:「遠征」と「出稽古」

ここでは「遠征」なんて遠くを征伐するっていう言葉じゃなく、剣道、武道の世界には「出稽古」っていい言葉があるんだし、「稽古」って言葉を使おうよって書きました。
末尾にもっと勉強しますというままなので、この後のちょっとしたつづきってことになればと思います。

「稽古」そのものは、レ点をいれて、「古(いにしへ)を稽(かむがへ)る」ということが語源といわれていますし、これは間違いありません。
しかしながら、ここだけを取り上げてしまうと、先が見えづらいというか、将来展望については見えにくい言葉なような、、、昔はこういう風に思っていたりもしました。

じつは、「稽古」という言葉は、、、

そもそもは中国の『書経』などからの言葉らしく、日本での最初の出典は『古事記』だそうです。
ここででてくるのは以下なんです、そう、4字熟語のまえ2文字ともいえます。

「稽古照今」

こうなると、「稽古」の意味である、「古(いにしへ)を稽(かむがへ)る」だけでなく、さらには「照今(今に照らす)」とあわせ、「稽古照今(古を稽えて今に照らす)」という熟語としても使用されているのです。
とても、ステキな言葉です。

多くの方は、この4字熟語はあまり知らないですよね、、、かくいう私もそうでしたから。

これを聞くと「温故知新」に似ているような気がします。

「温故知新」について、スポーツ界で活躍して、平素いろいろとお世話になり、勉強をさせてもらっている方のブログで以下のようなものがあります。
わたしがとやかく書くより、勝手に引用させてもらいますね、、、┏○
みなさん、というよりここでは剣道をされている読者が多いと思いますので、スポーツとしての知見をたかめるためにご一読くださいね。

> ひとり学際日記:2012-12-18 [雑感]東京オリンピックの遺産

最後の部分だけ引用、以下です(詳細については上記ポストを読んでください、、、私の解釈ではあまいので)。

スポーツが、国家的な身体統制や社会制度、さらには教育や健康の「手段」を超えて、日常生活の中で「楽しみごと」や「生きがい」として大切にされ、かつ「文化」として洗練されていくためには、先達が刻んできた「時間(プロセス)」を、「温故」と「知新」がともに可能となるような有形、無形の「エビデンス」として後世に「贈り届ける」必要がある。(…)

これらのことを考え合わせると、いまの剣道界、武道の世界では、「稽古」という、4字熟語のまえ2文字だけが先走りして、本来の意味を見失いつつあるのではないかなと、、、
柔道の世界では、すでに稽古って言葉をつかわない人たちもいますし、剣道でも前述のように平気で遠征ということを使うのですから、やや心配といえるかもしれません。

さてさて、、、

今回試合にでることによって感じたのは、、、この試合にでるまでは、なんとなく、いろいろと考えるところがあって、古きを守ることばかりを考えて稽古してたなぁと。
そう、そもそもが「温故」もなく「知」るという過程も無視して「新」ばかりをとりたがる自分だったのにね、、、でもこういうこともあらためて重要で、せっかくやってきた「温故」にプラスして、これからはそれをしつつの「知新」の「稽古」を現時点を見つつしていかないといけないとなぁと、いま筋肉痛に苦しみながら文章をうっています。

そう、「なんかやってやるぞー!」って気になっています、、、はい、まだまだ、机上の空論です(笑)

チームのみんなには迷惑かけたのは、大反省だけど、こういうのを感じるって大事だし、だから試合もしないといけないなぁと。
また来年呼んでくれるかなぁ、、、こういう凹み、あ、いや機会っていいですよね。

そして、だからこそ、、、

「稽古は試合のごとく試合は稽古のごとく」

なんていうのだなぁと。
指導者して、選手もしてるのに、この年になってまたまた、またまた再確認するなんて、、、やっぱりぶろぐのサブタイトルどおり、「まだまだ」なんですね(´Д`)ハァ…

 

と考えてくると、、、

実は冒頭の同級生の会で以下のポストが好きなんですと言われましたが、わたしも好きなポストのひとつである「守破離」のはなしが腑に落ちてきますね。
お時間があれば是非よんでください。

> 拙ぶろぐ:「守破離」:剣道の‘教え’を考える[4]

あーーーー、有言実行(?)、稽古しないとね。
というときに年末年始、せっかく時間はあるのに稽古する場がないね、世の中世知辛い。
<2012/12/29 追記>
次のことも書きたかったんです・・・‘教え’を考えるシリーズなんですから。
敗北のショックでわすれてました。
ちなみに余談ですが、打たれた面は洗濯しました(https://kendomix.com/610/archives/41.html)、、、あはは。

さて、稽古には上記の意味合いがあるということ、、、つまりは「PDCAサイクル」といえますね。
「PDCAサイクル」とは、「Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)」を繰り返し、業務等を継続的に改善していこうという活動です。
いまはスポーツ、トレーニングの世界でも当然のように取り入れられいます。

> Wikipedia:PDCAサイクル

つまり、日本においても、そもそもにして、こういう考え方があるということです。

以前、「Performance = Skill * Fitness * Motivation」が先ではなく、横文字から入ってきたものではなく、日本にもそもそも「心技体」とあると、以下ポストを投稿しました。

> 拙ぶろぐ:剣道のトレーニングに思うこと

 

さらにいうと、宮本武蔵『五輪書』では、各項を「能々吟味、工夫あるべし、鍛錬あるべし」などとむすんでいます。
これもまさに「PDCAサイクル」、、、
そして「稽古照今」。

この「照今」のない「稽古」はよくないなぁと思っている次第です、、、有言実行、ガンバりたいと思います。

 

さてさて、今年も多くの方々に拙い投稿を読んでいただきましたこと感謝しております。
来年もよろしくお願いいたします。

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