剣道家をめざすセンセのぶろぐ。

「師弟同行」教うるは学ぶの半ばなり、、、どちらもまだまだです。

2011年 修行指導 剣道論

「目付」:剣道の‘教え’を考える[5]

2009.10.4 毎日放送「情熱大陸」の1シーン
2009.10.4 毎日放送「情熱大陸」の1シーン

剣道において、「一眼二足三胆四力」といい、目の働きがもっとも重要であることを教えています。

たしかに、五感のうち視機能から人間が得る情報は、日常生活において8割以上ともいわれ、スポーツ実践時には99%以上という文献もあります。

したがって、視機能は重要であることは確かですが、、、この「一眼二足三胆四力」という場合は、スポーツにおける「目のよさ」ということ、、、プレイを予測することなどのヨミといった「状況判断のよさ」まで含まれると考えるべきでしょう。

こうなると、話がでかくなりすぎそうなので、、、今回は少々限定をして何を見ているのか、どう見ているのかといわれる「目付」という‘教え’について綴りたいとおもいます。

視機能については、わたしも少々勉強している課題でもあるので、多くの知見を整理をしておければと思っています。
※この‘教え’に限定しても、大きいテーマなので至らないところは多々あると思いますm(_ _)m


「目付」については、井上正孝先生は、著書「正眼の文化」のなかで、以下のように書かれています。

一言にしていえば相手と相対した時にどこに目をつけるかということである。
目は心の窓とも、いわれるくらい思うことはまず目に表れるから、昔から目付けは勝負を決する上に非常に大事なポイントとされている・・・(略)

とし、つぎにそれぞれの目付について、以下のように解釈をしています(略したもののあります、スミマセン)。

◯遠山の目付(紅葉の目付)
一ヶ所を凝視せず、遠山を見るがごとく全体をおおらかに見ること・・・(略)
◯観見二様の目付
観は観察で相手の心を見通すこと(心眼で見ること)。見は肉体的の目で相手の現象面をみること。したがって宮本武蔵のいうように観の目強く、見の目弱しといわれるゆえんである。
◯帯の矩(かね)
相手の目を見てこちらの動きを観破されるおそれのある時は、相手の帯あたりを見よという教えである・・・(略)
◯二つの目付、二星の目付
目付は相手の目を中心にその動き全体を見ることながら、特に拳と剣尖には注意せよという教えである・・・(略)

さらに、他の資料「剣道教室(大修館書店)」をあたると、重複するものもありますが、「見の目付」、見る箇所としての、目付については以下のものがあります。

◯二つの目付:相手の剣先と拳を見る
◯楓の目付:相手の小手を見る
◯谷の目付:相手の顔を見る
◯二星の目付:相手の目を見る
◯蛙の目付:相手の肩を見る
◯脇目付:相手の腰あたりに目をつけて、相手と視線を合わせない

さて、「観見の目付」ということを考える場合、必ず、宮本武蔵「五輪書」がでてきます(以下)。

目の付やうは、大きく広く付る目也。観見二ツの事、観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、近きを遠く見る事兵法の専也・・・(略)

「観見」といった場合、特に「観」には、先述したスポーツにおける「目のよさ」を含んでいるとおもいます。
つまり、相手の心理面や戦術戦略面をとらえるのと、表象としてあらわれるものをとらえる視覚とは別物に考えるべきでしょう。
どこに目をつける、視点をおくのかという「見の目付」は、目のつかいようとして、検討・検証すべきと思っています。

ですから、大修館書店の「剣道教室」は、うまく分類しているなと思っております。

また、「五輪書」のその項には、「遠山の目付」的なことも書かれていて、引用の略したあとには目の付け方についても記述があり、「観見二ツの事」ばかりが取り上げられたものでもなく、総合的な目付のことが書かれている点もおわすれなく。

そして、面白いのは、Wikipediaで「視覚」を検索すると、以下にあたりました。

視覚を使い、判断する動作を見る(みる)といい、転じて、読む、会う、試すなどの意味もある。(試すの意味での「見る」は、一般的には仮名書きされる)遠くを眺めると言ったニュアンスのある場合は、観るとも書く。

※あとであらためてこれには触れましょう。

で、、、人間の視機能について少々説明をすると。

ヒトの視野は、左右方向へは104°、上方向には60°、下方向には70°の範囲まで見え、さらに、眼球を動かすと40°プラスして144°にも及ぶと言われています。

ちなみに、、、余談ですが、、、この視野を考慮すると、昨今のハイビジョンのテレビ(16:9)は、昔の映像(4:3)より、人間にとってより自然なものであるとも言われています。

剣道のことを考えると、左右は広いので問題なく、上下の視野においては、下がやや広く見えるので、おおよそ構えあった距離をもって、相手の顔あたりに視点をおくと、相手の身体全体(振り上げた剣先〜足先)が見えることになります。
こうなると、剣道の‘教え’にでてくる目付の箇所どれをとっても、だいたい相手の全体をみられることになります。

たしか、とある番組で取り上げられた世界チャンピオンは右肩あたりをみていたという放送がされていましたね(冒頭の写真)。

また、各眼の耳側15°程度の位置に盲点が存在します(これについてはここまで)。

網膜の中心部(生理学的分類で2.5°、心理学的分類25°)で見るのを「中心視」といい、それ以降の網膜に周辺部で見るのを「周辺視」といいます。

「中心視」では物体の「色」や「形」が処理され、「周辺視」では、中心視のように文字や色は認識されませんが、物体の「位置」や「運動」が処理されます。
(これ、重要です!!!)

つまり、運動を認識するのは「周辺視」で、これが、目の使い方、「目付」ではひとつのキーワードになるといえるでしょうね。

視点を置く場所を中心として、その周辺に「周辺視」があることは間違いありません。
しかしながら、それぞれの視機能のシステムが違うのです。

上記’教え’のようなさまざまな箇所を凝視してしまえば、それは「中心視」で相手を見ることになり、そこに視点を置きつつ、運動を捉えれば「周辺視」を使っているといえましょう。

近年、球技スポーツの世界では「ボールを良く見ろ」、「ボールから目を離すな」という指導について疑問が投げかけられているようです。
つまり、凝視がいいのかということであり、さらには「有効視野」という観点からは、このような教示によって、心理的にみえる範囲をより狭めるということが言われ始めているようです。

つまり、なんとなく「みる」というのが重要なのかもしれません。
そう、「遠山の目付」ですね。

わたしの拙い剣道経験からも、、、これは審判のことで聞いた話なのですが、以下のようなやりとりをしたことがあります。

(私の質問)「審判は、どこをみるのがよいのですか?」
(回答)「(戦前派の師から聞いたことだけど)審判はね、みないんだよ。」

一瞬、わからなかったのですが、これこそ上記の「遠くを眺めると言ったニュアンスのある場合は、観る」であり、「遠山の目付」が選手だけでなく、審判でも必要なのかなと思いました。

そして、古いんですが・・・以下の好きな言葉にも通ずるんだろうなと。

「考えるな、感じろ(Don’t think, feel)」by ブルース・リー

どこかに目を囚われることは、それは剣道でいうところの「止心」につながってしまうかもしれません。
「目付」の’教え’が逆効果になってしまうこともあるでしょう。

そして、「感じる」というのは、なんでも感じればいいということではないと思います。

「経験則」

これに基づいた、感覚が重要であり、剣道の動作を見極めていかないといけないのだと思います。
ここから起きうる現象を、運動としてみてとらえる、、、「観る」ということが必要になるのでしょう。

前出の井上先生の本の「目付」の項には、、、以下のようにまとめられています。

「剣を知って剣を見ず」の心境で全体をうららに見るのが一番よろしい。

あ、、、、、、っ!!!
ヨミとかの話はムズカシイからといって、今回のネタをはじめたはずなのに、このようなまとめ???

まぁ、他の多くの本とかにもね、、、結局は「体得する以外になし」とかあるし、これこそ「経験則」ってことだし。

こういう話は、やはり堂々巡りでいいのかもしれませんね(笑)

と、まぁ、いつものようにまとまらない話ですみませんが、「目付」を考えてみました。
スポーツビジョンとか、動体視力とかいろいろとまだありますが、今回はここまで、以上。

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4 コメント

  1. 見ちゃうんですよね。。。一点をまっすぐ真剣に。そしてまったく見えなくなる。。。中学生のママのようです。

  2. 組長の組員さん、いろいろとありがとう。
    深尾くん、大将くん、、、私自身秘して楽しんでる部分もあるんで、再投稿しちょうだいね。よろしく。

    また、話をしましょう。

    組長、バレバレなんだけどね、指導しといてね(笑)

  3. 先日、組長にご一緒させていただいた関西医療大学の吉村と申します。先日は貴重なお話を聞かせていただき本当にありがとうございます。

    僕は野球をしていたのですが、バントの時や守備練習の時には指導者からしっかりとボールを見るように言われ、そのうえでランナーや相手の守備位置を見て判断するということをしていたので今まで簡単にしていたことが一歩引いてみると非常に難しいことをしていたんだなぁと思います。
    「中心視」であり「周辺視」である野球でこのことを知っているとすごい武器になるのではないかと思います。
    うまくまとめることができていませんが、とても勉強になりました。ありがとうございます。

  4. 先日はご一緒させていただきありがとうございました。
    すごく勉強させていただきました!
    ありがとうございます。

    今回の「目付」についてのブログ、「なるほど…なるほど…」と口が勝手に動きながら読ませていただきました。
    目付だけでこんなにあるのですね。

    >「中心視」では物体の「色」や「形」が処理され、「周辺視」では、中心視のように文字や色は認識されませんが、物体の「位置」や「運動」が処理されます。
    僕の思っていた、野球でいう目付はバント練習の時などの「ボールをよく見ろ」というイメージなので、まるで今読ませていただいたのと反対です。
    その事を知っているか知らないかで、自分の意識は全然違ってくるのではないかと思います。
    ボールを見ているのだけども、見ずに判断する。
    上手く書くことができないのですが、僕なりに考えさせていただきました。
    今度実践してみようと思います!
    すごく勉強になりました!ありがとうございました!

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