先般の指導員養成講習会で講師先生との話したことから面白いネタができました。
スポーツではウォーミングアップ、クーリングダウンを重要とします。
これはスポーツ科学という観点からは当然のことでしょうし、やらねばいけません。
稽古に邁進している方はぜったいやって下さい!!!
さて、、、
わたしは運のいいことに、剣道の多くの講習会等に帯同させていただき、諸先生方の行動を見ることができます。
稽古しているとか、指導しているとかの場面ばかりでなく。
道具については、ヲタク的なところもあるので、まず竹刀を見るのは好きですね。
・握りの汗のあとから、どのように握っているのか?!
・柄革の曲がり具合でどのように左右の力、ねじれを使って、竹刀をふるのか?!
・打突部の打突痕をみてどのような打突が多いのか?!
などなど。
もうひとつ、私はおかしな人間観察をします。
講習会では先生方の道場内で指導を担当していないとき、あるいは時間をもてあましてるときの行動をよく見ているんです、、、
今回は、その話について、面白い展開をしたので、備忘録としてまとめておきます。
結論はナシですが(笑)
八段の先生でも、とくに競技歴のある先生方は常に竹刀をもって、とにかく動いています。
振り方とか、構え方とか、いろんな動作をしているんです。
上段の著名な先生は手の内のトレーニングのように片手ずつひたすら竹刀を振ります。
東西対抗とかで一緒させていただき、いまもいろいろとお世話になっている先生は構えから打突までの独特な動作(右手の使い方に特徴アリ)を繰り返します。
八段戦でも上位入賞したことのある、わが師は中段から中心を外さないように振る上肢の動作を柔らかくあげたり下ろしたり、ひたすらしています。
、、、というように常に落ち着かず(笑)、、、いや、常にいろいろと研究をされています。
こういうのは、本当に勉強になります。
稽古や試合のなかで、あの先生は、こういうイメージで、カラダや竹刀をつかうのかということがちょっと垣間見えるからです。
ということを、講習会講師としてこられていたわが師(八段教士)と話をしたら、、、
もう故人となられた戦前派ともいえる某先生(師の師のひとり、京都大会でもトリをつとめたことのあるような先生です)は京都大会とかで、竹刀袋から竹刀を取り出して、そのまま立会に向かったと。
なにを言いたいかというと、、、構えのチェックとか素振りなどは一切せずに出て行かれるのです。
つまり、竹刀をもって構えることや素振り、体の運用のアップをすることで、その相手の技術やクセなどを見抜く・見抜かれるというレベルでの剣道が展開されていたのだろうと。
だから、相手に自分の手の内は見せないということ。
たぶん、孫子「兵法」ではありませんが、当時には当時の情報戦略(スカウティング)があったのでしょうね。
ブログの最初の自己紹介の項(「ブログ始めてみました(自己紹介こみ)」)でも書いたように、昨年の世界大会の情報戦略に少々携わりましたが、情報は本当に必要です。
技や戦術的な試合展開などを見るのは重要だとわかってるんだけど、昔の先生方の見取り方は本当に凄いんだなぁと感心しました。
情報がない中で、少ない情報から、相手のすべてを見抜く力があったのでしょうね。
逆に情報が多くなり、こういう情報の取り方は薄れていったのも事実なんでしょう。
(まったくこのような情報収集が、今なくなっているわけではないですが、少なくなってきている感はあります。)
昨今、剣道の情報戦略について考える機会を与えられていますが、結果として思うのは、情報のとったとられたということより、その情報から何を読み取るかという、情報を理解・解釈する能力のトレーニングが必要だと考えています。
つまり、今回の話がここに見事にはまるのです。
もうひとつ深く感じたのは、今のわれわれのとらえ方より、剣道がスポーツという観点でなく、生死をかけた勝負なんだろうなぁと。
これは、以下の「おまけの話」の竹刀の取り扱いからも伺えます。
非常に面白いやりとりができましたのでメモがわりブログでした。
じゃぁ、私の剣道は、、、どっちの意識も大切にしていきたいと思います。
アップもします、大事なときには隠れて見えないところで(笑)
それが今の高める、広める剣道のあるべき姿なのだろうと。
特に結論なしってのがまとめですね、アハハ。
※おまけの話
その先生が、竹刀をつねにヒモでくくって、4枚の竹がひらかないようにされていたようです。
竹がひらくと、力が分散されます。
つまり本番に向けて、少しの竹の合わせも狂わないように万全な状態に道具を調えておく、、、そのような感覚というのがあったのかということも感銘を受けました。
竹刀袋から取り出し、ヒモをほどいて、立会に向かわれた・・・・と、なんかカッコイイ!!!
もう故人となられましたが、その先生の道具の一部、ヒモでくくられた竹刀が私のところにあります(冒頭の写真)。
その先生を師と仰ぐ人には怒られそうですが・・・弟子の弟子の弟子の・・・ってこと許してもらい、あこがれていきたいと思います。
あぁ、この先生とももっとお話がしたかったなぁ。
あはは、ふるねぇ、クミチョさん。
また機会があったらね!?
貴殿の組員たちがからんできた頃みはからって。
まぁこちらはのんびりやってますから。
正直まだ、ブログなるものを理解していないというあたくしであります。
610さん
こんど、「基本」と「奥義」
「ティーチング」と「コーチング」の話
ブログで語っていただけませんでしょうか?
610さん主導での論を聞きたいです!
すいません、わがまま言って(汗)
610さん
これはまた高いハードルな質問を・・・(汗)
プロ野球選手の中ではそのような感覚がある人がおそらく
厳しい戦いの中で残っているような気がします。
150キロ投げても消えて行く選手と130キロでも残る人はそのあたりと思います。
あとは「俺は見えている」とハッタリかます人もいるので
何がホントかよくわかりません(汗)
工藤選手は、「打者が見える時は調子が良い」と言ってます。
この「見える」というのがどこまでの事を言っているのかが面白いところなのだと思います。
私は選手としてはよく分からなかったので、むしろ610さんの話を野球の指導でかなり流用させてもらってます。
特に「打たない!という選択のむずかしさ」の話はツボです!
プロにも話するネタになっております(笑)
得意の他人のふんどしです!
すいません答えになってませんね(汗)
クミチョさん、いつもコメントありがとう。
なるほどと、他競技でもいろいろとあるんだろうとあらためて面白く思いました。
野村克也氏のコメントや記述にも剣談や武道関連からきている言葉がたくさんありますね。
野村氏はこのような感覚はあるんでしょうね。
ところで、野球選手にそのような感覚はあるのかな?
そして、それでそんなに見抜くことのできる捕手や選手・監督・コーチなんているのかな?
なんて、逆に質問を投げかけてみる(笑)
興味をそそられる話をありがとうございます!
こういうの大好物です(笑)
私はプロ野球を生で観に行く大きな楽しみの一つは
イニングの合間に選手が行っている準備を見ることです。
打者であればネクストバッターズサークルでの動き。
投手であればキャッチボールです。
わざわざビデオに撮ってます!(笑)
フォームの意識する点を繰り返してキャッチボール
をしているケースが多いからです。
ちなみに私はキャッチャーでしたので次の打者がどこの高さの
ボールをイメージしてネクストで素振りをするか見るようにしていました。