前ぶろぐをうけて、、、また、仔細なことを。
「稽古」という言葉に関連することのつづきかも、、、これもまた、どうでもいいことかもしれません、、、
でも以前に、私自身、すごく勉強になったことがあったのを思い出しました。
とある人文系、武道史の研究の大家である大先輩から、この話を伺い(立ち話なんですけど)、ホントに感銘をうけたので、ここに書いておきたいと思います。
そう、ウケウリ、他人のふんどしネタなんですけどね、、、(得意技?)
「鍛練」or「鍛錬」
「金へん+糸へん」or「金へん+金へん」
どっち? ということとなんです。
日本刀の職人たちVOL1 刀鍛冶 :文部科学省
その先輩曰く。
そもそもは「鍛練」であり、「糸へん」の「練」を使うらしいと。
つまりは、叩き鍛えるという意味合いをもつ「鍛」と、練(ね)る、こねる、練り固める、というような意味合いをもつ「練」からなるのだと。
「糸を練る」ということもあるようで、、、糸の艶をだし、切れにくくする作業だそうです。
そもそも、ふたつとも金属をきたえ上げる意味合いの字を並べる(「金へん+金へん」)よりも、「金へん+糸へん」のほうが、深みがあるだろうと。
ここからは、その先輩自身も、推測といっていましたが、、、
では、なぜそうなったか・・・「金へん」を2つ並べたほうが厳しそうに見えるから、変化したのかなぁと。
うむ、、、まぁ、、、わかりました、ハイ、という状況でした。
前出の文部科学省の刀鍛冶の映像でも、刀製作の金属を叩く場面では「鍛錬」であり、ちゃんと使い分けているのかなぁというような気もするし。
さて、宮本武蔵の「五輪書」には、以下のようにあります。
千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練(錬)とす
出典により、「れん(練・錬)」の字が、「糸へん」であったり、「金へん」であったりしています。
私自身、人文系が専門でないこと、大元の出典を確認したことがないため、これがどうなのか確認できていません・・・スミマセン。
「鍛練・鍛錬」とは、上記にも触れた金属を打ち鍛えるということから、転じて、教育・訓練等で心身・技能を鍛えることに使われるようになったといわれています。
しかしながら、この解釈からでは「金へん」の意味合いしかでてないだろうと感じています。
上記の先輩の話から、鍛えるという意味に、練る、上手になるという意味の練れる、練り固める、糸の艶を出し強固なものにするという練る、などなどの意味が加えられるべきだと、その先輩との会話以来、わたしは思っています。
つまり、「金へん+糸へん」の「鍛練」が、さらに稽古や修行、しいては教育等に、鍛えて練るという意味合いが盛り込まれるのが本来の姿というか、、、その先輩とお話をさせてもらったときに、なるほど、そのほうがいいなぁと感動をしたんです。
みなさん、いかがでしょうか?
その後、わたしは出典があって限定されるとき以外、つまりほとんどは「鍛練」を使うようにしています。
まぁ、ぶろぐも誤字脱字が多いし、そもそも自分の性質的に「どうでもいい」というタイプのヒトなので、そんなにきっちりと言葉を使えているわけではないんですけどね(笑)
毎度毎度、おせっかいな話でスミマセンです、ハイ。
勉強なりました