剣道家をめざすセンセのぶろぐ。

「師弟同行」教うるは学ぶの半ばなり、、、どちらもまだまだです。

2011年 剣道論

どうでもいいことかも:「遠征」と「出稽古」

IMG_0941高校の関東大会を見学に行ってきました。

剣道具をゴロゴロと引いたり、大きなバッグに入れて移動する人々をみて、ふと。
※このこと自体を否定する話ではありません、、、私もしますし、、、。

わたしは、言葉の専門家ではありません、、、なので、いろいろと間違いもあるとは思います。

しかしながら、剣道界・スポーツ界に身をおきながら、どうしても気になっていることがあります。
これはTKB時代の恩師が言われていたことが、どうしても心にとどまっているからなんですね。

「遠征」という言葉です。

剣道具店でもなんの疑問もなく「遠征用バッグ」などと販売をされていますし、いろいろなチームの行事日程などにも遠征と平気でスケジュールが組まれています。

対人競技ですから、多くの相手と手合わせをするためと考えた場合の、俗にいう「遠征」は重要です。
しかしながら、どうしても気になるのです。

まぁ、スポーツ界のテクニカルタームとしてとらえればいいんですけど、、、でも、とくに武道、剣道ではどうなのかなぁと。

「遠征」について、ネット検索すると、以下のことが出てきます。

日本語の意味をデジタル大辞苑で調べると、、、

遠征[名](スル)
1 遠方の敵を征伐しにいくこと。「十字軍の大―」
2 試合・登山・探検などで遠方へ出かけていくこと。「日本チームのアメリカ―」「ヒマラヤへ―する」

英語では、、、

軍隊などでは「an expedition」というのを使うようですが、スポーツ場面や大会では「a visit」、「a tour」という事になるようです。
試合に関しては「an away match」だし、遠征チームは「a visiting [an away] team」ということですかね。

ということは、、、

以前、以下のぶろぐで「拍子」ということで書かせていただいたんですが、日本語の曖昧さとかなんでしょうかね。

> 拙ぶろぐ:「一拍子の打ち」:剣道の‘教え’を考える[1]

海外では戦争での使う言葉とスポーツで使う言葉では、あきらかに使いわけられています。
しかし、日本語訳すると一緒になるということに、私自身、上記ぶろぐに似たジレンマを感じているのかもしれません。

まぁ、スポーツと武道では、遊びと生死をかけたたたかいからというように端を発するところ、本質がまったく違うという見方もできますけどね。
となると、、、日本スポーツで遠征ってなんで使うのって疑問も出ますけどね。

なにが言いたいかというと、、、

剣道はその「理念」にもうたうように、「人間形成の道」であるとしています。
※「剣道の理念」の詳細はお調べ下さいね。

そう、「剣道」は、片刃である「刀」を使いながら、厳密には両刃のものである「剣」という文字を使っているんです。

これは、日本における「剣(つるぎ)」としての神聖視された思想、、、そして柳生宗矩による「活人剣(かつにんけん)」思想、さらには新当流の「敵を斬るのみならず、自分の中にある邪心を斬る」という思想、、、などなどを経て、「片方の刃は敵に向き、片方の刃は自らに向く」という考え、高い次元に目的をおく「理念」が制定された現代剣道あるというように考えると、、、どうなのかなぁということになるんです。

参考:「剣道を知る事典」なぜ剣道というのか?p178-179
http://www.tokyodoshuppan.com/book/b79753.html
(ぜひ!!!手前味噌もたまには、、、アハハ)

つまり、、、「出稽古」という言葉があるじゃない!!! ってことなんです。

受け入れ側としては、遠く(=自分たち)を征伐しにくるのを受け入れるというのは、あまりにもおかしい言葉になります。
そして、俗にいう遠征する側も、わざわざ征伐とかつぶしに行くのでもなく、勉強を含めて、ご指導いただくという気持ちも多分にあるはずなのです。

「稽古」自体が、「古(いにしえ)」を「稽(かんが)」えるということであればあるほど、上記のような意味合いをもつということに関して、より整合性がつき、意味が深くなれるとおもうのです。

どうして、「出稽古」ということをあまり使わなくなったんでしょうかねぇ。

武道のスポーツ化、、、「稽古」も「練習」といったり???
「稽古」という言葉自体が使われなくなってきているのかもしれませんね。

こういう点については、今後ももう少しかんがえてみたいと思います。

またまた、またまた、とくにまとまりのない投稿ですが、お許しください。

 

 

 

 

<2013/2/7 追記>

出稼ぎ先で用語の研究経験のある方からおそわったのですが、、、
「出稽古」には、「師匠が出向いて稽古をつける」というとらえ方もあるそうです。
ですから、「出稽古にきました」となると、「おこがましい」ということにもなるとか、ならないとか。
こうなると、このポストのはなしが見えづらくなりますが、今回テーマにしたことに関しての情報として追記しておきます。

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3 コメント

  1. コメントありがとうございます。

    組長、今度大阪行くからその時ゆっくり。
    でも、まぁ、根本的に何か違うのかもね。
    剣道も野球も、世界的に見たら、マイナーだしな、、、

    あ、授業で使うなら、使用料もらうよ(笑)
    ミート君あたりにカウンターになってもらうかな???

    キヨ、、、
    稽古については、もっと私も勉強しないと語れません。
    字面でなくて、実践しているから言えることという切り口が出来ればいいなぁと思うけど、そう考えると稽古不足だよ。
    でもまぁ、コメント入れてくれるだけでも、いそがしい中、頑張ってるんだなぁと安心してます。
    ますますがんばってください。

  2. 稽古という言葉、大切につかわせてもらっているつもりでしたが、ここまでハッキリとした理論をもっては説明できませんでした。子どもには剣道以外のこともピアノの稽古、太鼓の稽古…と話しています。どうして稽古なのかいつか心から話してあげられるように言葉の意味をよく考えて『稽古』していこうと決意をあらたにしました。ありがとうございます。

  3. 全く気にしないで言葉を使っていたことに気付きました。

    野球では、外に練習試合でも行く時には
    『遠征』を使ってました。

    遠征というと、なんだか勇ましく感じて元気が出るような気がします。

    「遠征メンバーに入れた!」なんて思ってワクワクした記憶があります(汗)

    『よし行くぞ~!遠征じゃ~!」みたいな

    これが出稽古となりますと・・・なんだか相手に『お相手していただく』みたいな気分になりますし、「やる前から負けておる」みたい怒られそうな気がします。
    相手を尊重することを疎かにする野球だったのかもしれません(汗)

    なんだか話の筋を間違えた、間抜けなコメントをしているようで申し訳ありません。

    私個人としては、「出稽古」という感覚を持つ武道の精神は大好きですし、今の日本の風潮からすれば必要な感覚だと思ってます!

    またまた面白い視点をありがとうございます。
    今週の私の授業の枕のネタにさせていただきます。(笑)

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