とある稽古法が審査にはいることもあり、私自身その制定の発端にかかることもあったもので、そのネタをおこせととある方につつかれ、、、
いろいろと考えているうちに、ふと。
毎度のことですが、書いているうちに、なんか思ってもない方向に脱線してしまったような、まとまったような話です。
今回は剣道の技の体系から、少々剣道を考えてみました。
剣道の技の体系には、とある稽古法的に分類すると以下になります。
まだまだ、ここに盛り込めなかったものもあるんですけど、なんでもありということだとまとまりつかないのと、できるだけ絞り込もうとしても、ここまでにしかならなかったというか、、、
(2本目は表題と括弧内がいれかわるとかいう噂ですね)
しかけ技:一本打ちの技、二・三段の技(連続技)、払い技、引き技、出ばな技
応じ技:抜き技、すりあげ技、返し技、打ち落とし技
「剣道指導要領」の母体となる以前の「幼少年剣道指導要領」には、「しかけていく技」と「応じていく技」との表記があり、「いく」という表現への検討があり、削除をして、現状で使われている言葉に統一されたものと思っています。
こういう表記の問題って、全日本剣道連盟と現場、だけでなく、武道必修化を決めた文部科学省の手引きの表記などとのズレもあるんです。
前回以下ぶろぐで書いたように、これは剣道だけでなく、武道の中でもあるのですから、必修化とはいえ、そういうところから、ハコモノとか予算とかよりも文科省には整えてほしいなぁというのが個人的な考えです。
※基本的には、礼法作法はココロの問題、そこを明確にしてくれれば形式の統一もいらないかもしれません。
> 拙ブログ : 右なのか、左なのか:剣道の所作事におもう…
さらには「剣道指導要領」になったのは、幼少年だけに向けたことではないということをあらわしたものとして、非常に賛同しているのです。
つまり、「幼少年」のタイトルからとることについては、先達の大先生がたが熟考の上つけたものとはいえ、このように子どもから大人まで習得すべきエッセンスをまとめてあるものとしてとらえると、本質をとらえた素晴らしい決断だったとおもっています。
※以前のぶろぐにも書いてあるように、基本→応用という展開は個人的に好きになれないのですけどね、、、
さて、「応じ技の応じ技」(このように表記しておきます、応じ技というカテゴリーの応じ技という種類だと思ってください)です。
以前の「幼少年剣道指導要領」にはかろうじて名称だけは残っていましたが、「剣道指導要領」になり、消えてしまいました。
状況によっては、様々な応じ方はあるというような行はありますが。
「応じ技の応じ技」というのは、非常に言葉では説明しづらく、文面にするのも大変と思います(雑誌で説明をしていた人がいたとおもいましたが、、、詳細はそちらに譲りましょう)。
わたしもどちらかといえば、知能派というより、武闘派なのでうまく書くことはできないと思います。
武闘派といっても実力も大してなく、わたし自身がこの技がうまく出来るわけでもないので、説明もできないのかもしれません。
下衆なイメージ的には、よけというか竹刀の刃部で受けてから、打突をするとでもいいましょうか。
「応じ・て・打つ」って感じです。
表鎬でうけてそのまま打突しても(すりあげ技的)、裏に返して打突しても(返し技的)、「応じ技」であるのです。
時間軸的に、応じるタメ的な瞬間がくっきりとあるような感じでしょうか。
さて、体捌きと刃筋の方向の使い方から、上記応じ技4つは分類されていると説明できましょう。
しかしながら、「応じ技の応じ技」、時系列的な観点で、すでにしかけ・応じと分かれているの中に、さらに時系列を説明しないといけないことにでもなるのでしょうか??
また、体捌き・刃筋は体系化したものに対して、何でもあり的なものでもあります。
むずかしいですよねぇ・・・分類するというと。
ただ、難しいとは思うのですが、用語を消すのはどうなのかということなんです。
説明を少なくしても、体系はしっかり残すべきかなと。
「木刀による剣道基本技稽古法」に関する検討のきっかけとして、「刀の観念」ということが言われてきました。
これは現代剣道への危惧だと思っています。
その顕著な例としては、刀を使っての命のやり取りをかんがえると、間違いなく避ける方法論はないでしょう。
刀も横から叩かれたりすれば、刀自体折れるでしょう。
最近の剣道ではあたらしく生まれたりしたものを考えると、明らかに技にはなく、あるといえば戦術戦略的な防御しか思い浮かびません。
つまり、技は競技化がされていることで、限定化というか少なくなる方向になっているのです。この教本、これ自体は剣道をされるかたの指導のバイブルになっているものでしょう。
こういうもので、少ないものをさらに少なくするってのは、先細りになるのではないかと思ってしまうんです、決して合理的という話ではないと思っています。
指導の段階でいろいろと、伝統的にながく行われ、しかも生涯スポーツ的に行われいるものですから、用語の問題っていろいろあると感じています。
今回は、将来的な展望もふくめ、消えていく用語にちと危惧感をいだいてみました。
さて、以下のようなホームページもありましたね、冒頭は折敷胴、、、これも表記が先なのかどうかはわかりませんが、いまでは使われなくなった技のひとつですね。
写真もつかわせていただきました、ありがとうございました、面白いページですね。
どもども、まーちゃん。
まずね、テーマはいろいろと狭めてしまっているような気がすることへの危惧感ですからね。
「いく」はそのなかでのひとつですね、、、しかし応じに関しては「いく」はそぐわない場合があるかなと(現象面だけですよ、心づもりとかそういうことはぬきで)。
また、「張り」については、まーちゃんの意見と同感ですね。
ただし、「払い」の範疇に入りうる動作ともいえますし、現段階の説明でも払いあげるを原則としていますが、現場的には払い落とす(打ち落とす)、さらには張ると非常に似通った動作をすべてひっくるめている状態です、、、
ですので、まだ「応じ技の応じ技」ほど消えていっている感は、少ないかなと。
しかしながら、とにかく、バイブルから消えてしまうのはやはり問題ありということだと思うのは同じです。
といいつつ、こういうの書いているものの、できるとは別というスタンスをとっている私もまだまだですからね。
おたがい、なにかアクション起こせるといいですよねぇ。
どうもありがとうございました。
読ませていただきました。
なかなかBBKにいきませんね。
首をながーくしてまってます。
今回のテーマかなり意見の分かれるところですね。
個人的には、「いく」を抜いて「しかけ技」と「応じ技」になって違和感が消えました。
「応じ技の応じ技」という問題もありますが、「はり技」なるものもあり、まだまだ私の知らない技名はあるのかも知れません。
質問されて、しっかりと説明と師範ができるものをバイブルには載せて、その他の技名は消すのでなく、きちっと理論的に説明と師範ができるように研究して、復活させるというのはどうでしょうか!?
私も含め、いまの剣道人は古流の勉強をする人が少ないような気がします。
出来ない技を古流と言ってしまう私に“情けなさ”を感じます。