剣道家をめざすセンセのぶろぐ。

「師弟同行」教うるは学ぶの半ばなり、、、どちらもまだまだです。

2011年 剣道work 剣道論

13歳から、、、剣道初段の受審資格変更に思うこと

とある講習会の街で…
とある講習会の街で…

とある講習会(ひな祭りの時期、写真はその街で)にいって中学校の先生などと話しました。
とあるところでのタイムラインなるところでも多くの意見が載っています、、、

剣道の初段審査の要件が13歳になるということです。

初段の受審資格を中学2年から満13歳に改定を提案
> 全日本剣道連盟:寄稿「まど」平成23年03月号 第284回

正直いうと、どちらがいいのかわかりません。
結論も出ないでしょう、、、いや、13歳ということで結論なのです。

これについて私の意見は間違いもあると思います、、、反論も多々あるでしょう、、、。
ただ、いまのままにとらわれたり、ちょっとかわればいいのにとか、ましてやそうなったら実際剣道をするほうにとってどうよりよく実践させていくかということがなく、批判のための批判が多いような、、、この世界ではよくあることなのですが、、、まずは、思うことを書き連ねておきたいとおもいます。

こんな見方もあるということ、どっちもどっちとしかいいようがないので、徹底して批判して、その根幹を考えて、さらに今後どうしていくかを考えていくネタになればと思います。


まず、反対される現場というサイドの声の検討。
こういう対応をすると、私が組織に近いからということをいわれますが、、、その点については、わたしも先生の端くれでありますし、剣道を通しての教育を考えているものでもあり、できるだけフラットに考えているんですけどね。

まず、中学校は年度で動いているという声が多いようです。
これについては大組織のトップの方も、知育と違って、同一に取り扱う必要はないということを書かれています。

わたしも、いわゆる高等教育機関のなかでシラバスなどというものを書けといわれ、渋々やっていますが、、、
入学試験を受けて選別してきた学生の知育的な授業についてならまだしも、身体運動の能力はひとつも問わずに進学してきたものを対象としてこれを書くことは不可能です。
そうです、この件については同様の意見を持ってしまいます。

この年度で動いていることのが「日本の文化」なんだからと、変えるのに対して批判する方もいますが、学制は明治以降の話で、武道はもっと古いのです。
つまり、日本の文化という観点が曖昧というか・・・
これは、学校だけでなく、会社もそのように動いていますし、現代社会にはずいぶん浸透してしまっているようです。
ただ、、、現状ではたとえば大学ではセメスター制にして、4月だけでなく9月の入学卒業にも対応しようとしています。

そのようにかんがえると、いろいろなことが限界にきている今、今回の改訂はある程度将来を見据えているとも言えるのではないでしょうか。

これらの年度というシステムの話もコミなのでしょうか、、、「現場がわかっていない」という声も聞きます。

現場とは本来、対象者、環境(施設や用具、気候など)によって違うはずなのです。
したがって、現場の意見というのは非常にまちまちになることであり、「現場の声」をというのはひろく捉えれば捉えるほど、武器になるのは難しくなると考えています。

この現場の声というのを、ひねくた穿った見方をすると、、、学校の先生や指導者が一斉指導をもとにした楽をしたがっているのではないか、集団指導が念頭にあるのかなと思ってしまうことがあります。

そもそもは、武道は一子相伝。
どんな時期に師事しても師事されても対応できるのが重要だと思うのです。

現在では、試合があり、それが中心に練習を行なっているのは事実です。
審査も同様ですが。

しかしながら、常に強くあらなければいけないのが、剣道、武道の本質。
また、ピーキングやコンディショニング的なことを取り上げて、現場というのであれば、それはそれで変容できるものであるはずです。
しかも、それはあとあとに西洋から、あるいは他の競技的に剣道に取り入れてきた文化で、前述の論「日本の文化」ということとはズレが出てきます。

剣道の稽古を考えた場合は、さほど変わった内容をやっているわけではないと思っています(以下拙ぶろぐ参照)。
いかにキチッといつでも強くあろうというのが根底にあるんだとも考えられます。

> 拙ブログ:寒稽古、、、剣道とピリオダイゼーション!?

つまりは、いつでもはじめられるものとしての指導法の確立も考えてもらわないと、地域スポーツとしての本質が見えてきません。

また、近年話題の武道の必修化と絡めて話をされる方もいます。
追い風が吹いてきたのに、年齢を持ち出されると学年で行っている中学教育とはすこし違ってくるなどと。

たしかに武道の必修化とリンクすれば、学年を大切にしないといけないということになるのですが、、、
学校の授業の展開を考えるとどの時期・学期に剣道をするのかは学校によりまちまちです。
さらには、剣道具などの用具の充足といこうこともあれば、同じ学年でもクラスごとなどに年間や学期での展開もかわってくるのでしょう。
一方、このような学校のカリキュラムなどの状況と、市区町村連盟が委任され実施している昇段審査がどのように絡んでくるのでしょうか。
と、考えた場合には年度という効力もさほどないのではないかと思ってしまいます。

つまりは、大目的にむかって、、、(それは、試合の場合は試合審判規則に則って競技する、同様に審査の場合は規則に乗って受審することになると思いますが)、、、合目的性の高い活動を行うことが現代社会の教育でしょう。

他の競技でも学校区分、年度ごとに開かれる大会もありますが、U23とか年令によって区切られている競技も多々出てきています。
また、以前のぶろぐにもすこし書きましたが、日本も「スポーツ振興計画」なる政策のもと、すでに地域スポーツ化していっています。
いままでは学校教育とともに繁栄してきた武道、いくら中学が必修化になっても、こういう社会の変化への対応ということが当然といえば当然になってくるのではないかと思うのです。
こういう社会への変化、、、これは根本的に日本オリジナルでないので、この観点での論の展開はしたいわけでなく、現状とか現場ということになるとこの点を踏まえられているのかということが気になっているということです。

> 拙ぶろぐ:武道、先にありきだよネ…とある剣道の指導者育成事業に携わって

さらに、中学生は〇〇と思っているとか、心情がどうとか、不平不満があるような代弁、、、これはなぜしっかりと調査をして、数値データを示してもらえないのかなと。
つまり、あくまでも大人のフィルターを通した意見に他ならないということになります。

同様に平等性ということからも問題提起されています。
これはどうなんでしょうか、、、

初段受審まで中学で始めたものは、級もふくめて多くの審査を受けないといけない。
中二が初段資格だとすると、それまでにガンバって追いつけるということもいっておられました。

これ自体、中学の期間だけをみた平等性であって、小学校からコツコツと積み上げてきたものへの冒涜というか、そちらの意見、心はどうなんだろうと思ってしまうわけです。
そう、小学校時代の修行というのは評価されないのかという、見方すらでき、こちらの方への危惧をわたしは強く感じています。
根本的には、規則があるので仕方ないとはいえ、学年であることの理論にはならないのです。

先述しましたが、この若い年代にとって、ルールの変更がどれほどのものかいろいろと訴えることは、大人の理解ではないかと思うのです。
たぶん、あっという間に、子供たちは慣れるというか、対応するのではないかと思うのです。

上記の批判についてからだと、なにも決定的な問題点は見いだせるものとは思えません。
したがって、いままである規則が変わった場合、現場はそれに則り、より有効な展開方法を考えるべきです。
批判にパワーをつかうより、今後のより良い方法論を考えるというのが重要ではないでしょうか。

2009年の世界大会の前に取り上げられたNHKの特集に、これは情報戦略に関することですが、キャプテンの選手が以下のことを言っていました。
こういう感覚って重要だと思いますよね。

2009.8.22放映 サンデースポーツ特集「王座奪還に向けて」
「今日通用した技は明日通用しない、明日通用する技明後日通用しない、今日当たっても慢心せずに違う技、この進化を求めていかないといけない…」

そうなんです、これは学校教育がいかに社会教育である剣道とタイアップするかという話ですし、その方法論を考えるべきです。
地域の連盟や教員の能力も問われますよね、、、「例年通り」ということじゃないというのが当たり前にいれば、ちょっとした変化程度かもしれませんね。

さて、規則変更の組織サイドの説明についてすこし考えてみます。
組織側へ批判的なことになるかと思います。

「国際的に、、、」といっているようですが、「国際基準」「世界標準」に合わせる必要があるのかということです。

例えば、「剣道の国際化」とはいわずに「剣道の国際的普及」とか、オリンピックにはあまり見向きもしていないのがこの組織です。
それにあわせないスタンスでさまざまなことを進めているように活動しているのに、今ひとつ整合性にかけると感じています。
そうなんです、そもそもわかりにくいものなんだからわかりやすくすると言われても、わからんままでいいではないかととぼけた結論を出す私には、ピンと来ないのです。

そして、「体力差を持ち込むことなく…」と理由付けをしていますが、もう中学になると、発育はまちまちとしかいえないでしょう。

競技パフォーマンスは技術・体力・精神力などを総合してあらわされます。
剣道の場合、体力的要素が高く関与しきらないため生涯スポーツであるということが言われています。
したがって、体力による理由付けはいかがなものかということです。

さらには、中学生レベルになると、1年間での発育発達のちがい(4月生まれと3月生まれ)というよりも、基本的には遺伝や個性による差が大きくなる世代であります。
体力差を強くうたうのであれば、男女別でやることは高段位の審査になれば必要ではないかと思ってしまいます。
これには多分、賛同されないでしょうね(とあるところでは大問題になりましたし、個人的には男女で違うという認識は良くないと思っています)。

一方で、学年にとらわれる必要はないということを、知育とは違うのであるからというような説明をされているのですが、、、

現行で称号と段位の関係は、六段合格後に錬士、七段合格後に教士、、、となっています(以下規則参照)。
そもそも規則では、段位は「剣道の技術的力量(精神的要素を含む)」、称号は「これに加える指導力や、識見などを備えた剣道人としての完成度」を示すものとなっているのです。
そうなると、そもそも段位は、識見などの知育とはまったく関係ないものであり、独立しなくてはならないものです。
そう、今回、わざわざ、このことを説明すること自体に矛盾を感じてしまうのです。

> 全日本剣道連盟「剣道段位・称号規則」

また唯一なんらかの変化が見られるかなぁということに関しては、現在では学校種(小学校→中学校→高等学校→大学)が変わっていくたびに、子供たちが勝手な区切りをつけて、剣道人口に影響を及ぼしているわけです。
これに関しては、師匠(教員)の問題などもかかるので、一概に学校種の問題とは言えません。
ただ、年齢になるといままでのこういう区切りについてくずれることにより、どういうふうに変わっていくかも見守らないといけないでしょうね。
これに関しては、剣道人口をつなぎとめるいい方向にいくことを期待したいと思っています、どうなりますかねぇ。

また、施行に至る過程が、非常に性急な感じが否めないのですが、将来のサービスの徹底、方法論の提示などが必要かと考えています。

誕生月などによって、受審が受験勉強などとかかる場合にはやや問題があるかもしれません。
指導者的に見ると、中学をだしたときにいかに仕込んだかが、指導者としての評価でもありますので、必死であるのかもしれません(本来は技量もですけど、剣道は人間形成です)。

こう考えると、剣道自体が理念や競技規則のなかに教育性をうたい、たんなる競技とは一線を画すスタンスをみせているなら、しばらくは4~9月、10~3月くらいの誕生日群みたいな対応でいいのではないかと(合格者については誕生日を迎えたら認可する)。
大体各市町村の審査も春と秋というのが一般的でありましょうし。

とある資格認定では、すでに、卒業をもって認定するようなこともしているわけですし。
さらには、その後に受信される昇段審査の修業年限も、厳格な年限ではなく、前後1ヶ月くらいの柔軟性はあるはずです。

まぁまぁ、「よきにはからえ」って感じもありでいいですよね。
(←まちがって使った人によって、しわよせが、、、なんて感じもしています。)
また、移行措置として、前述の半年ごとのグループでもいいですし、3学期制に対応するのもいいくらいのところで収まったらいいでしょうねぇと思ってます。

将来的には、受験の機会を拡充するなどの仔細に対応する必要になって来るであろうなと。
誕生日会ではないけど、審査が毎月くらいはあるべきかもしれませんね(笑)

こういう方法論をより検討して、示すなどしないから、不平不満が多いのではないかと思ってしまいます。
そう、委任する各都道府県、市区町村などへ、より明確な方法論をふくめて伝達していくのがいいのではないでしょうか。

その昔、全日本剣道選手権の出場資格が6段に突然上げられました、、、これは私自身はさほど影響はありませんでしたが、選手というい事を考えるとそのチャレンジできる回数が減らされたりした形になります。
生涯ということを考えたときの選手生活は短いのです、たった数ヶ月の変更より、これは大変なことだったと思います。
またこれは私が味わったことなのですが、センセの大会があり、団体戦では副将・大将は年令が決まっております。
わたしは30歳になったら、出られると思ったらそれが35歳になり、よしあと少しで35歳と思ったら40歳になり、、、最近ようやく出れました(笑)
いろいろあってもですね、定着して実施されてきているんです。

世の中、そんなにベストなことってつくり出すのは大変だと思っています。
試行錯誤しながらいろいろとやり、批判したままでなく実施して問題提起をあげていく、、、これしかないでしょ。

要するにですね、今回の案件は、、、私見としてしておきます、、、どっちでもいいんです。
今回は、なんか水掛け論っぽっくて、あまり面白くないネタですみません。

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3 コメント

  1. なるほど!
    段位の高い人は話も深いってことですね!

    野球は段位をつけますと、
    いろいろややこしそうです。(笑)
    甲子園に出てない監督の方が、指導は細かかったりしますから
    ・・・って別にバカにしているわけではなく、
    選手が集まらない中でも工夫している監督が沢山いて、
    味わい深い野球観を持っている無名の方も沢山いるということです。

    竹刀の話・・・
    私で言えばバット・・・と言いたかったのですが、
    すいません・・・金属バットの世界しか自分はプレーヤーをしてませんで、その辺の感性的なものは大ざっぱです(汗)

    しかも、チームのバットなのにも関わらず、
    「これは俺のバットだ!他の奴には使わせん」みたいな権利意識も働き、
    レギュラーではなかった私のような者は
    「誰も使ってないのを使う」という全く本質から外れた選択をしておりました。(泣)

    というワケで、バットに関しては全く語れるところがありません(泣)
    申し訳ありません。

    木製バットにはそれなりにウンチクがあるらしく、
    うるさい事いう人は沢山いて面白いとこはあると思いますが・・・

  2. 組長、いつもありがと。

    段位だって、いろいろな資格だって、そんなもんでしょうね。
    たとえば、野球のすごいこと言われても、ピンと来ないのと一緒かと。
    まぁ、野球の段位があれば、、、面白そうですね。
    (私のボケっぷりは、かわらないな、たぶん)

    あと、ヲタクはねぇ、、、かなり段位に比例するかと???

    さて、本当はねぇ、、前回の竹刀のぶろぐでからんで欲しかったなぁ。
    バットだとどうこうと(笑)

    では、予定調和でよろしく。

  3. 剣道の素人の私には面白かったです!
    理解できているとは思いませんが、
    野球に段位をつけたらどうやって区切ればいいんだろか?
    なんて勝手に考えてしまいました(笑)。

    私みたいな素人には誰はどれくらい達人なのか?
    ということを知るのは「何段なんですか?」
    と聞くくらいしかありません(汗)
    (このブログを読む事で理解を深めているつもりですが)

    学校の暦との関連などは考えたことが無かったのですが、
    言われてみれば、学校の先生方は色々なご意見をお持ちなのだろうな~なんて思いました。

    私なんかは、皆さんの意見を聞いているうちに「そもそも何だったっけ?何が問題なんだっけ?」となってしまうことって多くなってしまいそうです。

    剣道みたいに段位があるとモチベーションが上がっていいだろうな~なんて野球から見ると思います。

    610先生の言う通り皆さんが前向きにできたらいいですね!

    ところで、610先生的な剣道オタクの段位検定はやらないんですか?(笑)
    剣道界での610先生のオタク段位を知りたいです!(笑)
    しょうもないコメントですいません。(汗)

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