全剣連 第59回全日本剣道選手権大会告知 動画より
全剣連 第59回全日本剣道選手権大会告知 動画より

指導者たちのチカラ、影響はスゴいんです。
以前以下のぶろぐにも書きましたが、剣道も良くなっているというのは、剣道界においてもっぱらの評判です。

> 拙ぶろぐ:2010全日本剣道少年錬成大会 裏方手記:指導者って素晴らしい!!!

しかしですね、しかしなんです、、、おもうことがあって、気になって仕方ないのです。

学生の稽古をみていると、一本一本の稽古を終えて、蹲踞をして下がって立礼をして、お互いより合ってまた礼をしているんですョ。
また、先生・先輩方に稽古をお願いしたあとにも寄ってくる、、、
団体戦も相手以外にもいろいろ礼をすることもありますよね、、、(個人的には好きではありません)

何度も何度も礼をする、、、こういうのがあまり理解出来ないんです、このへそ曲がりには。

なんでだろうかな、、、
稽古の合理性なんかから考えると、時間はムダだし、あまりメリットを感じないんですけどね。
※何を持って合理的かというところに、ツッコミどころはありますが、このまま続けさせてくださいm(__)m

今回は礼の仕方云々ではないですが、礼から、ちょっと考えてみます。


まずは、変化球から、、、韓国では蹲踞はしませんね。

さらにそれますが、、、試合も「紅白」ではなく、「青白」です、、、これは「青龍と白虎」だということも言われたり、紅白は日の丸を連想させるので、反日本という説もあります。

脱線ついでに、、、
韓国ではTV放映されるような剣道の試合では、柔道のように紺と白剣道着・袴をそれぞれの青・白によって着替えて試合をします。
また、発声は面=モリ、小手=ソンモ、胴=ホリ、突=チルンといいます。
個人的には、こんな二つのルールを使い分けること自体、すげぇなとおもったりもします。

剣道には、いまひとつ説明しきれいない「蹲踞」があります。
これは中座の礼というように蹲踞は礼だと言う文献、太刀分けの儀式から来ているという文献など、礼なのか儀式なのか明確になっていないため、なんとも言えません。
蹲踞が礼だとすると、何度も礼をするということになります、、、ただ、ココらへんの詳細については史的研究がメインでもないため、わたしも正直わかっていません、、、スミマセン。

なお、蹲踞については、講習会仲間(?)の甚之介さんが以下のように記しています。
ただ、やはり明確に蹲踞っていったいなに?というのはでてこないようです、、、これがいまの状況でしょうかね。

> 甚之介の剣道雑記帳:蹲踞と蹲[そんきょとつくばい]
> 甚之介の剣道雑記帳:蹲踞と立礼

それはさておき、、、なんでうだうだといっているかというと。
蹲踞の問題はおいておくとしても、何度も礼をするのが、「修行の仕方」として合理的なのか?ということが気になっているのだろうなぁと。

礼をすることは重要です、挨拶も同様です。
とある本では、目上の人に対して挨拶をすることは失礼に当たるなどというものもあります。
一教育者として、私見を述べれば、少しでもお世話になった人に恩返し的にできるのは、その世話になったことでの結果を残すことや挨拶などでしかできないのですから、デシどもには挨拶はしっかりとしてもらいたいのです。

ただ、最近の剣道修行者は形式的に挨拶しているんではないかという疑問点もないわけではありません、、、これは体育会という人たちに多いかもしれませんね。
そして、それが今回のたくさん礼をするということにもつながるかと。

剣道の場合、一回一回の稽古の最初と最後の礼にすべてをおさめれば、なんどもなんども礼をする時間は短縮されます。
無尽蔵に時間があるならいいでしょう、、、いいわけではありません。
限られた時間を有効に使うという効率化ということがまったくみえず、生産性の高い活動をしているとは思えないのです。
※効率化がすべてでないときもあるのも事実です。

さらに、このへそ曲がりのわたしには、いっぱい頭を下げられると小馬鹿にされていると感じてしまう時もあるんです。
ほかにもそう感じておられる方も多々いるとおもいます、、、あ、悦に入っているヒトもいるかも。

海外でも、日本人はよく頭をさげると思われています。
このこととは別としても、海外の剣道をこころざす方々の礼法や作法に対する真摯な思い入れはすごいものがあり、日本人より精通していたりもします。
したがって、こんな乱れた礼法をしていたら、よろしくないだろうなぁと、、、キレイじゃないですよね。

では、なぜこのようになるかと、、、かんがえるに。

これは冒頭で指導者をあげつつ、疑問符のままだったことにほかなりません。
少々、指導者や指導法にやや原因があるのかなぁと。
つまり、稽古をしては、口でさらに指導を与えることをしているんです、、、これは私もあります、でも少ない方です。
言葉にすることの大切さも無視はできないんですけど、、、

たぶん、修行者は稽古をお願いしたら教えをうけにいかないといけないとインプットされ、これが対等の「互格稽古」でも展開されるんではないかと、推察するんです。

※師弟同行という観点では、教わる方だけでなく、教える方も修行なんです。
※余談です、、、一般的に「ごかく」は、「互角」という漢字をつかいます。しかしながら、剣道は「互格」稽古です。「格」の問題なのです。

そもそも、「古(いにしえ)を稽(かんが)える」という稽古、個人的には徹底した合理性の追求なんではないかと思うんです、、、「PDCAサイクル」をしっかりふまえていると。
剣道の稽古は同じことをただ繰り返しをしている、、、といっても、そのなかでくりかえすことは、スポーツ科学で言うところの「トレーニングの原理・原則」の「反復性の原則」ととらえれば、これは科学的にも理があることと理解できればいいとおもっています。
この手のことは、以下のわたしのぶろぐが参考になるかもしれません。

> 拙ぶろぐ:剣道のトレーニングに思うこと

また、以前ぶろぐにもちょっと触れたのですが、、、以下の言葉があります。
私自身、まだ全部理解していない未熟者ですが、、、

柳生宗矩『兵法家伝書』
「道は秘するに あらず。秘するは、しらせむが為也。」

> 拙ぶろぐ:デシ仕込みの話:センセvs職人

わたしの師匠と勝手に崇め立てているヒトは、稽古をしたあとに「あーこー」いうことはまったくもってありません。
ましてや、稽古後すらなにも言葉での指導はありません。

そもそも剣術などは一子相伝で、あまりよくわからないような言葉などを秘伝として伝えてきたわけですから、とにかく、感じてつかむというのが重要なのかなと。
つまり、言葉なんて、、、って話ではないのでしょうかね(スミマセン、表現が稚拙で)。

こうなってくると以下のぶろぐ、剣道の指導法に関することを少々読んでいただきたいなぁと思ってしまいます。

> 拙ぶろぐ:「大強速軽」:剣道の‘教え’を考える[3]

そうです、とくに今回の礼法にはらむ問題に影響している根源を考えると、指導場面で言葉で懇切丁寧に教えること、、、それががいいのかどうかという問題なのだと思います。

指導者も、修練者も、、、剣道はどちらも「技」や「気」などで自己を表現していくものだと思っています。

その中に、技前の「攻め」や「崩し」、「技」、「残心」という過程、、、そして、それらの過程を循環的に繰り返すという「縁を切らない」ということの、そのリズムというような剣道用語で言えば「呼吸」ということなどが重要になってくるのでしょうか?
有効打突自体も、これらの過程の総合体として、評価・判定されているわけです。
とにかくいちいち止めて口を出したりすることや、せっかく感受性のよかったり、(いい意味で)感性の違う修練者に対して指導者の感覚で指導するのが、どうかということですね。

修練者だけでなく指導者も、両者とも修行者として、稽古したことの仔細を感じて、覚えておく、、、ここが重要だと思います。

最近、仕事で過去にすごい大会を前人未到の連覇をされた先生の話を最近聞くことがあります。
いま、指導の場面で、選手がどういう場面でどういう状況で打突した・打突されたといったことを、すべてチェックして記憶にインプットしています、、、ご自身の剣道についても同様のようです(もっとすごいとのこと)。
そこから分析して、どうすべきかなどを語られるんです、、、スゴいんです。
つまり、しっかりと記憶できるということが重要ということになります。

「稽古照今」

剣道はいまだに、稽古終了後に挨拶をお互いで稽古を振り返りながらするというすばらしい稽古形態が残っているわけです、、、いや、これを含めて稽古なんでしょうね。
これは「問答法」的に稽古を顧みる活動をしているわけです。
練習をおわってもこういう研究をする、、、
ここのあたりを大切にできないと、「らしさ」というのがなくなるんではないかと思うんです。

よく大会などで、試合後に挨拶をしている光景、これは今後会えるかもわからない、一期一会を踏まえた上での、このことのひとつの現れたものともいえましょう。

ちなみに、稽古後に挨拶する風景、柔道ではあまりないらしいですね。

またまた余談ですが、、、大人なら第2道場という飲み会、、、スポーツ的には運動して飲んだらどうかなぁとおもいますが、、、そこで、しっかり語る時間はあるんです。
箸や指をもって「あーだ、こーだ」とやっていることでしょう、アハハ。

さらに申すと、、、技や気のやりとりをもって、伝わらないものに、説明してもわからないのではないかということ。

言葉を介さないと理解出来ないのであれば、実際の対人場面でどれほど自己解決能力が発揮できるのでしょうか?
他人の感覚を聞いて理解しようなんてヤカラは、絶対理解していくことはないとおもいます。

どなたが言ったかわからない言葉ですが、何度もわたしのぶろぐには登場していますが、以下の言葉大変好きです。

「自分で自分を自分する」

やはり今回も、結論が全くない戯言ですね、、、
そして、自省コミコミのはなしです、、、

武道が中学校での必修化といってクローズアップが少しされてきたなか、文科省の期待のひとつは「伝統的な行動様式を身につける」ことでもあります。
※「礼法・作法」についてはもっと深く史的・教育的研究を探らないといけません、その点については、今回のネタは、その観点では拙い限りです。

各武道によって作法など、行動様式が違うという事実もあります。
剣道の中でも、主義主張がいろいろとあり、違うところもあります。

> 拙ぶろぐ:右なのか?左なのか?:剣道の所作事におもう…

この点について語りだすと、深いところにはまりそうなので、今回はスルーしますが、、、

ただ、そんななかで、実践者たちが、ペコペコと礼をしている。
一挙手一投足とでもいっていいのかな、その意味合いを持たない行動をしていることが、やたらと気になったので、今回ぶろぐアップしました。

うーん、わたしも教えない指導者になりたい、、、そうしたら今の職業最高かもしれない。
あ、でも、、、ということは、言葉でなく学べる修行者にならないといけないんですね、、、あぁ、剣道って大変。

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4 のコメント

  1. コメントありがとうございます。

    まだまだわたしも指導者として、修行者として、どちらもまだまだですので、いろいろと考えていきたいと思います。

    これからもよろしくお願いいたします。

  2. 興味深く拝見させていただきました。
    「礼」のお話し、指導者の真剣さが反映されるのではないかと思います。
    私は稽古をいただく時に、立ち会いの「礼」をする前の段階からピリピリした感覚を無言で伝えて下さる先生には自然と、無駄な「礼」というか「お辞儀」はしなくなります。

    示現流兵法所のホームページによると、示現流では立ち会いの際に「礼」はしないと書かれてあります。敵に対するのと同じ心境を求めれるためと‥。
    原始的な精神部分を色濃く残している流派(個人的にそう思っております)故かもしれませんが、我々の稽古においても同じ精神性はあってしかるべきかと思います。

    そうした真剣勝負の中に(私の場合ほとんど懸かり稽古状態になりますが)、あの部分を掴み取ろう、これを真似よう、とかあるのではないかと思います。

    その中で師匠がポロッと発した一言に深い意味が、示唆があったりして、そこに何を感じ取る力がこちら(弟子)側に有るか否かなんじゃないかと思います。

    勉強不足で申し訳ありません
    またよろしくお願いします!

    中学生に何て伝えよう(ーー;)

  3. 礼について…
    ひとつひとつの動きの意味を深く考えると様々悩みますね。まして子ども達に教えるとなるとその意味をよく考えないといけないなぁと感じました。

    また稽古のなかで教え、教えあうということ難しいし素晴らしいと改めて思いました。一見感じるということは非合理的な気もしますが真髄でもあるような。いろいろ想いを巡らすとやはり、自分で自分を自分するにいきつくような気がします。先生方の言葉をおかりして(私自身よくわかっていないので使っていいとはおもえないのですが…)対立と調和、コマタイのぶつかり合い…そこから始まっていくのかなぁと。

    今回のブログをよませていただき、またしても頭がグルグルしてきました。ひとつひとつ考えながら稽古していきたいと思いますm(_ _)m

    きよ
  4. 礼の話はものすごく分かりやすかったです。
    もちろん共感ですし、我が教え子たちにも礼を大切にする話はよくしています。

    団体戦の整列時に何回も礼をしたり、極端に長かったりそのあとの声の掛け合いだったり…

    うちはまったくやりません。
    錬成会にお邪魔すると本割(組み合わせて頂いたリーグ戦)が終わると時間が許す限り≪申し合わせ≫という形で試合を続けますが、申し合わせの時だけ団体の礼の後わざわざ中央に集まってお互いに礼なんてやっています。

    最近は近くで見ている監督のところまでわざわざ子供たちがあいさつにきます…

    悪気があってやっているのでは無いはずですが、ズレているとは思います。

    先生のおっしゃる通り指導者がきちんと指導していかなければいけない問題ですね。

    他の事柄もしっかりと理解して上で指導していきたいと改めて考えました。

    MJ1

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