剣道家をめざすセンセのぶろぐ。

「師弟同行」教うるは学ぶの半ばなり、、、どちらもまだまだです。

2010年 修行指導

デシ仕込みの話:センセvs職人

某剣道具師さんとの話。
ちょっと面白かったのでメモしておきます。
先に言っておきます、、、またまた、ややながい (;^。^A アセアセ…

新しい面:仕組みは親方、アゴはそのデシの初心時代の作=再使用この剣道具師さん、日本で指折りの職人さん。
新しい面:仕組みは親方、アゴはそのデシの初心時代の作=再使用この剣道具師さん、日本で指折りの職人さん。

 

今回は、新しい面を仕組んでくれたのを取りに行ったときのはなしで、デシ仕込みのことなんで、今回は「親方」とでも呼びましょう。
私とは面白い関係で、私は駄馬なので道具にパフォーマンスを頼るところがあり、それについての相談にいつも応えてもらっています(この関係については後日また書きたいと思います)。

 

親方と「デシの成長が・・・」なんて会話をしました。
わたくしも学生剣道の指導者、学校体育の教育者として奮闘しているつもりなので、一家言あります。
剣道でいう次の二つの言葉を思いつきました。

 

「懸待一致」

「道は秘するにあらず。秘するは、しらせむが為也。」(柳生宗矩『兵法家伝書』)

 

先般のぶろぐに書いたように本学のカリキュラムが変わり、複数クラスで連携したり、いろんな先生とも協同で働くようになりとくに感じたこと。

 

「学生ができない」というセンセ、、、性格的な特性もあるんだけど、自分で準備からなんでもやります。
主体は学生であり、その準備なども教育だと思っています。
今後、社会で活動するためには、単位というか、運動による健康維持増進の知恵やノウハウを得ようとすれば、受益者負担ということも教育すべきであって、管理者でもあるものが動く、つまりは教員サイドが自己満足しているのはどうかと思っています。

つまり、待つことも重要と。できますよ、学生たち!!!

 

「懸待一致」

 

これは平易にいえば、「懸=かかること、攻撃」と「待=まつこと、防御」のバランスの重要性を説いています。
今回ここで言いたいのは、何でもしてあげるという教員の能動的なアクションが是でもないことです。

 

決してほっておけばいいということを言っているわけではありません。
仕掛けて反応を待つぐらいで、いいんじゃないかナと。
まぁ駆け引き的なところもあるのですが、常に攻めて懸かれる状態にいないといけないいう点で、ほっておくこととは違うことは明白です。

われわれは授業であれば90分×約15回、クラブ活動であれば1年ごともしくは4年間というスパンで結果を求められます。
その点、剣道具師育成の方が、長いスパンで見られるし、スポーツにおけるアクシデント的な結果は出にくいはずです。
親方には黙って「待つ」とか、助け舟を出しすぎないということも重要ではないかと、、、エラそうに言ってしまいました、アハハ。
こうやって、体得していくのが技術だと思いますし、修行でしょうね。
学校の節目があるような教育では、体得できずに終わることもあるのです、、、ハンセイ。

 

そして親方曰く:「もう一皮むけてほしいんだ」「思いがもうひとつ伝わらないんだ」とか。

私は剣道でデシを仕込んでいますが、、、結果としてはここ数年分不相応なくらいのいい成績を残しています。
まだまだ成功とは思っていませんし、もっと創意工夫していかないといけないなとおもっています。
そう、私個人の目安としては5年連続でできたら、本物かなぁと。
学生(選手)が入れ替わっても、歴史が残る、伝統ができるということですから!

多分、剣道具師、職人の世界のほうが、今は消えつつある日本的な一子相伝のようなきびしい伝承形式ではないかと思います。
デシとして引き受けたからには何年かかっても仕上げるのが親方の仕事でしょうし、才能がなければはやくダメと言ってあげるのが、本来の修行で、師匠の技量であると思います。
教育の世界では、いまは段階的にとかいって、この切り捨てる部分を許されないところがあります。
早い時期にこの道はダメということがはっきりすれば、もっと別の道で活躍できるであろうタレントもいっぱいいるのではないかと、個人的には思うこともあります。

 

このように考えてきたら、柳生新陰流、柳生宗矩『兵法家伝書』にある言葉を思い出しました。

 

「道は秘するにあらず。秘するは、しらせむが為也。」

 

まず、私自身が剣道で師と仰ぐ先生は、稽古をしてもほとんど何も言ってくれません。
しかしながら、他の方には、稽古後に技術とか、心構えとか色々と話しています。
決して秘することはしないんだなぁ、、、というか、出来るならどうぞって感じなんだなぁと。

 

 

私は他の方に話す様をみて、以下のようによろこんで聞き耳を立てています。

 

①師の技術の表現方法やその言語化の面白さ。
②聞いている人はどこまで理解しているのだろうかということ。

 

とくに、②については、師の運動リズムや技のレパートリーや組み立てなどなどを知らないのに、今日久しぶりとか初めてとか稽古したヒトに理解できるのかなぁと(少々イジワルですけど)。
私には、稽古を通じて感じろ、盗めと知らせようとしていると、勝手に良い解釈をしています、、、イイノカナ???

 

このことについては、私が他の先生に指導を仰ぐ場合には、同じ危険性があります。

正直なところ、個人的には懇切丁寧な指導はききません、「聞く、効く」どちらもです。
つまり、ひとひねりふたひねりあるような、一言二言の端的な指導、すぐにはわからない指導が噛めば噛むほどって感じで、課題を与えられたという感覚が、楽しいのです。

たとえば、私の経験でいまだに記憶に残っているのは、、、「サラサラとやりなさい」「あなたはまだ打ちたいんだね」とか。
これは考えに考えました、、、私なりに答えを出しながら、いまだに楽しんでいる指導の言葉です。

こういう経験をもって、学生指導にあたってますが、「師弟同行」というスタンスで、若いのには負けないと体張って頑張っています。
そういう気持ちとか、20歳以上も違うオヤジが頑張れている手順や方法というものを感じてくれと。

 

結果、天才プレーヤーでもない私のやり口をみるデシたちは創意工夫し、やるからには負けたくないというのがスポーツ競技の鉄則みたいなものを持ちながら、勝手に一皮むけるように頑張ってくれています。
「卒啄の機」ではありませんが、デシ側からのアクションも大事なんですね。
まぁ、うちのデシはやらなくてもいいことをやっていること、親方のところはそれに命をかけていること、若干違いはあります。
でも、職人さんの仕事に羨むことは、仕事が本当に好きな人の集団ですし、本学の学生は剣道をしなくてはいけないということがなく、そういう意味ではどちらも「好き」でいてくれることは共通する感じがあります。

 

 

さて、私の現状について、、、
思いについては、全部の思いが伝わらないというジレンマももちながら、違う人間だから仕方ないことと思っています。
しかしながら、ヒトが違うからいいということだけでなく、合目的性のある活動をするためには、私や先輩、先人たちが積みあげてきた、これだけは絶対許さないラインははっきりさせているつもりです。
そして、負けると一番くやしがるのは私なのに(←これはデシたちにはばれているようです)、やるのはおまえらだからと、いろんなこと丸投げして、勝手にドキドキしながら、ワクワクしているのです。

 

そう、親方さん!!!
あなたは正直いうと、日本屈指の技を持っています。
したがって、だまって自分の仕事っぷりをたっぷり見せてあげて、たっぷり仕事をふってやれば、いいのではないでしょうか
と、、、またエラそうに(笑)

一般的な剣道具店で売られている剣道具をみたら、はるかに高いレベルの作品でしょうけど、商売レベルでない追求をするのが、職人気質の面白いところ。

そこから盗むかどうかはおデシちゃんの仕事です。
おデシちゃんも、しっかり自分の立ち位置、将来を見据えて、積極的にいかないといけません。
そう、ここでの「待」だけはNGです、、、ただ聞く(攻める)のとはちがいますョ、作品をもって話しかけるとかね!

 

 

しかし、「ものづくり」を支えるのは「人づくり」なのでしょうか。
こうやってくると、技術の伝承が最重要課題と思っていた徒弟制度も教育と同じ部分がたくさんあるなぁと、いろいろと考えさせられました。
私自身が剣道する上で、エンジニア的にサポートしてもらっているだけでなく、いつも色々と勉強させてもらっています、感謝です。

まだ、私のデシ仕込みも、親方のデシ仕込みも結論が出ていません。
ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。
親方、また今度、久しぶりにじっくり飲んで話しましょうね、続きを。

 

さて、このおデシちゃん、、、実は子供の頃からの知り合い。
先輩のムスコさん。
わたしにとっても可愛い後輩なんです。

なぜかこういうタイミングに、練習用の面(わたしのデシ仕込み用の面ということ)が壊れるのでつくってくれと、私は知らずに春からリクエストしています。
このことを親方にいったら、口うるさい客(私)がデシを育てることになるということになるのかな、、、「やれ!」ってデシに言って喜んでくれました。
どちらにとっても、「デシ仕込み用の面」となることになるんですね(笑)

まぁ、おデシちゃん、スポーツと一緒、まずやってなんぼだよ、実践が重要!
そこから、うまくいったいかないってワイワイするのが楽しいの、、、やらなかったら結果無しでの討論は机上の空論ね。
そう、その練習用の面は、私の練習用ですが、あなたの練習用の面でもあるのです!!
やりましょう!いや、やってちょうだい!!がんがれ!!!

 

 

そして、わがデシども、いまは試験に向けて休みだけど、秋の大会に向けて、一緒にがんばるお!!!

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2 コメント

  1. ども、コメントありがとです。

    ホントはね、自分が一番せっかちなんだよね。
    やればできるだろうし、、、
    でもね、そうやってきて結果が伴わないのよ。

    でね、こんなんになるの。

    まぁ、なんの回答にもなっていないけど、ただただ、まだまだ、創意工夫しています。
    いろいろとおしえてね!!!

  2. 弟子の育て方の中で、
    「待つ」ってのが実に大変なことだと思います。

    授業に関して言えば、準備などを学生にやらせる
    のが「教育」になるのは思うところです。

    しかし、それを黙って見てるところを他の人に見られて、
    「あいつは仕事してないんじゃないか?と見られたらどうしよう?」
    という思いが先行してしまい、ついつい自分でやってしまいます(汗)

    そこは「育てる(教育する)」という本質から離れて、
    「自分を守る(教員側)」理屈になってしまっています。

    ちなみに私は610先生のスタンスは大好きです。

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