本学剣道部の合宿を無事終えることができました。
TKBの先生方、学生(後輩)諸君、みなさん、同じに合宿を8年も続けてくれている水戸の大学の後輩センセ、学生さんたちに感謝です。
今年も実り多き秋になれば、いいのですが。
まずは第一歩としてやるべきことはやったと思います、武運長久を祈ります。

 

さて、本学でデシ仕込みをするようになってきて、剣道のトレーニングに思うことを少しメモしておきます。
今回はあえて、「トレーニング」という語を使っておきます。

 

本学が最近成績を出し始め、合宿を共にしている他大学の同窓の後輩指導者が「先輩のところは合宿終わってから強くなるからなぁ」なんていいます。
まぁ、、、私の「ウデ」というか、、、いやいや。
たしかに合宿は競技力強化を目的としますが、どういうふうに強化していくかが重要ではないでしょうか。
※基本的なことでとどめますョ、全部は書きません、、、ナイショデス、、、「ウデ」なんですから!?

gash

 

競技力について、一般的に以下のような式であらわします。

 

Performance = Skill * Fitness * Motivation

 

ここからみると、体力面、精神面、技術面の単体ではなく、その総合的トレーニングが必要であると。
日本でいう、「心技体」と一字一句変わりないのです。

 

心技体

 

そしてさらに、戦術戦略の強化を加味しないといけないのは当然です。

 

TKBで自分の学生時代から、普通のみなさんより長めに剣道を修行させていただき、指導する側にも立たせてもらいました。
その専門家になってやろうということおよび専門家を育てようという経験と、現在のいわゆる愛好家を育てようとする経験を通して感じてきたことがあります。

専門家であれば、当たり前のことを当たり前に繰り返し繰り返し稽古をしても、強くなります。
自覚のある修行者は、なにをターゲットにトレーニングをしていくか個々人で明確にして、勝手にいい選手・いい指導者になっていきます。

 

 

現在、わたくしは幸せなことに、とある大組織で指導者講習会のお手伝いをする大役につかせていただいています。
その際に、体力面では以下のような講習をする機会もあるので、紹介しておきます。

 

— 講習会で使うのパワーポイントの1頁より —
剣道の稽古自体が総合的な体力面のトレーニングである。
○素振り…最大筋力トレーニング(重いものを振れば)、スピードトレーニング(軽いものを振れば)、持久力(回数を多く振れば)、技・協応性(正確に振れば)
○切り返し…筋力・パワー・持久力等の総合的トレーニング
○掛かり稽古…体力中心の総合的トレーニング(全身持久力、筋力等)+技能トレーニング
○互格稽古…技の習得の総合的トレーニング(協応性、調整力、巧緻性のトレーニング)

 

このように、体力といってもいろいろな要素があり、それぞれトレーニングの方法も違います。
簡単にいえば、「強度・時間・頻度」のかけ方で、得られる効果が違うんです。

 

TKBにいた経験や離れて後輩たちを見ていても、強くなったり、いい指導者になったやつらは、必ず時期によってや稽古のたびに、課題を明確にして取り組みをしているように感じます。
したがって、総合稽古というなかにも、自分のプログラムに応じた体力的要素の追い込み方、技術、戦術トレーニングの捉え方などなど、目的に対して実行していると思います。

 

見た目はね、、、武道、特に剣道はほぼ毎回おんなじような稽古をしているんですけどね、、、寒稽古などを除いては。

 

そう、専門家を目指すものには、一般的な変哲もない稽古の展開だけで自己実現ができるというか、してほしいですね。
やり方(見た目)を変化することでなく、自らを悟っていくようなことをしてほしいなと。
※まだまだ私も修行の身ゆえ、自分にも強くいいきかせているつもり・・・デス:(;゙゚’ω゚’):

 

 

 

では、今の剣道をプロフェッショナルとしないデシを仕込むとき、、、

まずわたしは、デシたちに、、、秋シーズンの始まりとしての合宿では、まずバイオモーター・アビリティを戻すこと、かつ高めることをメインにして、その後ガッコにもどっていろいろと展開していくことを明確にしておいてます。

 

 

物事を身につけようとするときに「全習法」と「文習法」がありますが、分解して総合的に構築していくことは重要です。
そこで先程の体力・技術・メンタル・戦術などの分解が重要になってくるのです。
不可分な部分もいっぱいありますが、それぞれを分解して、そしてまとめていくことが重要になります。
前述した専門家集団はほっといてもできるので、こういうモノの考え方をいまのデシどもに浸透させていくことが重要なんです。

一点申し添えておきますと、、、剣道には生涯つづけてプレイしていけるという他の競技にない特性を持っています。
稽古の仕方も、「準備運動→素振り→切り返し→技の稽古→稽古→掛かり稽古→切り返し→整理運動」というところが、時期や道場によっての少々の違いはあるでしょうけど、ほぼ統一されたような展開がされているでしょう。
うちのガッコでも、合宿、普段の稽古でも、全くオリジナリティのあるようなスペシャルな稽古はしません(そう思われていない方もいらっしゃるようですが)、現存の稽古方法以外はしないのです。

 

ただ、その強度・時間など、および個々人の取り組み方で特性を出していくだけです。
なぜなら、私自身は私のデシに剣道を続けて欲しいのです!
そのためには当たり前の稽古をするなかで、個々でしっかりと目的に応じた取り組みができるようになるように育てていくことが、どのような場にいっても剣道を続けてくれるには重要ではないかと考えています。

 

ということで、トレーニングという言葉で展開してきました・・・「稽古」はまた今度にネタとして書きたいと思います・・・かなり複雑になりそうなので。
そして、ひとつのスタンスは、何でも「稽古」という言葉にまとめてしまうのはどうなのかという疑問点として「トレーニング」という語を用いたんです、、、つまりはもっと分解して、仔細に稽古法を考えたらいいんでないかということ。
しかしながら、もう一方のスタンスとしては、剣道は開悟すること、「自分で自分を自分する」、つまり「稽古」って言葉ひとつでいいんだということ。

 

 

相反するんだけど、どちらかというと、今のスタンスのまま「稽古」って言葉一つでやれることが、生涯スポーツでもある剣道のいい面を出しているんではないだろうか。
ただ、この言葉ひとつで何でも強く・うまくなってしまおうというのが、迷宮に入るところでもあるんだな。
多くの剣道人があまり考えていないと思うのですが、一人ひとりがスポーツパフォーマンスの構成を理解して、各トレーニングの方法を熟知し(特に指導者は)、展開していくといいんだろうなぁ。

 

と、、、4晩にわたり宿泊をともにして、後輩指導者と語り合ったことなどからの私の考えもこみで書いてみました。

 

 

毎度のこととはいえ、あまり結論のない、堂々巡りのような駄文だな・・・スミマセンm(__)m
「ヲタク」シリーズも滞っていますね、コチラもm(__)m
「つ’ぼやく’」ばかりでなく、「ぶろぐ。」もがんばります!

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6 のコメント

  1. さすがだなあ。。。と感心しつつ、納得しつつ読ませていただきました。

    剣道って、基礎基本を磨いて行く中で、自分の癖をそぎ落として、そしてまた自分のものにして行く中で個性が出てくるものなのではないかと、私の中で思っていて、あながち間違ってもいなかったのかなと、読ませていただきながら思いました。

    まだまだ、自分にしがみついています。早く破りたいです!

    @lohichi
  2. ありがとうございます。
    剣道は生き抜く術で、要素ごとの得点を競うものではない。だから、ある程度の絶対的な基礎として必要だが、それぞれの別の個性をいかし相対することができる。個性に基づく以上、正しく指導して頂く中でも自得に負うところが大きい。
    という趣旨、とてもわかり易かったです。剣風も色々ありますものね。
    私は物凄く絶対的基礎的レベル(刃筋など)でまだ悩んでいるので、そこなんとかならないかという気持ちでした。

    このブログで思い出したことがあります。江戸時代に人気だった「豆腐百珍」という料理本があります。これは、今のように手取り足取り大さじ、カップというような量の指示がなく、「醤油をいれる」「水と酒で一日煮る」とか、超大雑把な解説なのです。
    昔は、各自の個性を最高に引き出すためには、原則を理解したら自ら試行錯誤で自分の最高の「味」を作りだすことが色々な分野で当然で、カリキュラムという発想が最近(あるいは西洋?)のものなのかなと思いました。

    こういうお話、とても興味深いです。初心者ゆえ考えも浅く、今後もとんでもないような質問や感想など述べてしまうに違いないことをお許し下さい!

    kabavalley
  3. さて、まず専門家と否かという点に関しての表現は非常に曖昧だったかもしれません。
    しかしながら、その境界線はどうという説明はできませんね、、、すみません。
    結果論っぽくいうと今回のその線引きに関しては、、、「上手くなるやつは上手くなるけど、ならんやつはならん」みたいな、身も蓋もない違いであるという話になってる感じです(説明になっていない・・・すみません)。
    まぁそもそも、武道は一子相伝、そういうところでバッサリ切り捨てていくのも含めて、デシ仕込みだったかもしれません。
    ※そうすると、私なんかこの世界にいないかもしれませんが(笑)

    また、剣道の「競技力」が、時間や距離、パフォーマンスの要素ごとの得点でなっているものではないので、その定義がしづらく、スピードのある人もない人とそれぞれの別の個性をいかし、相対することができるのです。
    さらには、ゲームが先にありきという競技ではないのです。生死をかけたことへの対応から生まれてきたものです。
    そうなると単純に今および将来をどうするということだけでなく、そもそもの技術などの思想をふくめて、過去を競技に盛りこんでます(刃筋など)。
    こうなってくると、競技力の定義付けは、、、個性と絶対性と、、、はぁ。

    ただ、個々が生き延びるための術ですから、それぞれの特異な要素を伸ばしつつ、刃筋正しくなどのある程度の絶対的なフォーム作りをする。
    だから、自ら悟るということになるのかと?!

    早く気づくやつは気づいているでしょうし、いつまでも気づかないやつは気づかない。
    早く気づくやつに対して、段階的に指導してやるのもナンセンスだし。

    結局早道の見つけ方は、プレーヤー自身におうところが多くなります。
    「三年習うより三年師を選べ」、、、こういう言葉も意味が深い。
    うまくいざなってくれるヒトはいるはずです。
    とにかく、「自分で自分を自分する」って言葉につきるな・・・そして、自分ひとりではないということも十分理解しておくこともこみこみにしておかないとダメです。

    ※という私はいまになって気づいてますから、遅いんですな。まだまだです。

    実は母校TKBの道場にベンチコート着てアップしたり、ウェイトとかも取り入れてみたり、いろいろとしかけたひとりなんですよ。
    こういういわゆる武道的なこと理解してなかった人なんです、、、でもなんでだろ。

    うーーーーん、むずかしい、頭もクソ暑い稽古のあとで冴えてないし(稽古のせいでなく、だいたいいつもだけど)、さらにはなんかブログネタになりそうなので、また今度。

  4. この投稿に関してtwitter上にkawai_tさんが書いてくれたコメント、会話を少々載せておきます(河合さん、勝手な転記お許しください)。
    あくまでもネットを通した会話上の一端でありますので、、、
    なにかの参考になればいいと思います。

    トレーニングの相補性に関する興味深いエントリー。キリスト教的思想を根に持たない多くの日本人にとって、要素還元主義的なアプローチは向かないのだろうな。『剣道家をめざすセンセのぶろぐ。: 剣道のトレーニングに思うこと』 http://ow.ly/2qLvE

    個人的には、分析的なだけではダメで、もういちど統合が必要だと思います。スポーツ科学の知見を持ちながらも、あえて統合的なトレーニングを行うという… RT @ken16_610 トップチームのほうが要素還元的でない現状。…一番面倒なのは科学的なことを知らない指導者だったりする。

    各要素を個別に高めておいて、ガチャガチャポンはできません。運動ゲシュタルトとかトレーニングの特異性をもっと重視したほうが良いのかなぁ、と思います。 http://ow.ly/2r3Vr

    @ken16_610 まずはムトさんがブログで書いてるように、伝統的な稽古をスポーツ科学の視点から整理すれば良いのでは。@unamasterさんがつぶやいていたように、根性練の再定義も有効だと思います。

    スポーツ科学なんて、たかだか数十年。数百年に亘って淘汰されてきた武道の鍛錬法には、まだ解明されてない意味がたくさんあるはず。RT @ken16_610 改めての剣道の統合的なトレーニング…ムズカシイね。

    考えてみると、武道は命のやりとりを前提とし、人間としての完成を目指して発展してきたわけで、賭けてきたものの重みが違う気がする。

  5. 今回の内容!
    こういうのメチャクチャ聞きたい話です!

    近年、
    「過去のトレーニングはこんなだからダメだ!古い!」
    というような論調で、自分は先進的であるとアピールしているものが多かったように思います。

    610先生のお話でいつも凄いと思うのは、
    それこそ、
    『インターネットを駆使した新しい取り組み』みたいなものにも力を注ぎつつ、
    『これまで剣道界がやってきた、いい事!もしくは言葉足らずで誤解されているもの』
    を解説していただけるところです。

    野球界が学ばなければならない事が多いです!

    組長
  6. 今回のブログは,自分の問題意識と一番重なりました。とにかく早く上達したい遅剣の視点からの、ものすごく素人な感想です、と最初に謝りますm(_ _)m
    二つあります。

    一つ目は、専門家とそうでない人の違いは、専門家は自分で課題を設定できるところとのことですが、それが出来る出来ないの差は何に起因するのだろうということ。稽古経験の差?意欲の差?意欲なら、専門家、特に全国レベルの方々の意欲ってどんなふうに貪欲なのか、とても知りたいとおもいました。

    二つ目は、トレーニングと稽古について。うっすらと常々、剣道にカリキュラムはないものかと思っていました。
    基本稽古( 素振り、切り返し、打ち込みなど)は、各種技術や運動能力に要素分解できそうだし、要素ごとにプログラムのように各種学習法?が明確になっていたらな、と思ったりします。
    これに対し地稽古など実践的なものは、無数の状況での判断や反射の動的な稽古なのでプログラムに向かないし、稽古経験、量がものをいうのかなと思います。
    そして、大人になってから始めた人は体が覚えていないので難しいといいますが、確かに後者の、経験がものをいう世界は難しいですが、前者のプログラムにできそうな部分は、分解して集中して稽古することで、多少は上達が早くなるのではないかと思います。
    と思う一方、プログラムがあればと思うのは、横着な学び方だとも思います。合理的すぎて自分で工夫したり考えることをしなくなりそうで。長い歴史の結果、稽古というのは、あえてプログラムを作らない道をとっているのかもしれませんし。
    そこら辺の、剣道の稽古法というか、稽古哲学というかも、もっと知りたいと思いました。

    えーと、感想垂れ流しで結論なし、まとまってなくてすみません。以上です。

    Anonymous

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