剣道家をめざすセンセのぶろぐ。

「師弟同行」教うるは学ぶの半ばなり、、、どちらもまだまだです。

2012年 剣道論

剣道のルールに思うこと[4]:「礼に始まり礼に終わる」ってことかな…

とあるところに向かう新幹線のなかで、数人で話し、考えたことが、今回の「剣道のルールに思うこと」です。
色々な考え方はあると思いますし、拙いことも多々ありますが、綴っておきたいと思います。
あくまでも「私見」です。

NHK BS-1 SAMURAI SRIRIT「剣道」の1シーン
NHK BS-1 SAMURAI SRIRIT「剣道」の1シーン

結論からさきにいうと以下でしょうかね?

「礼に始まり礼に終わる」

 

その事例とは、怪我による「不戦勝ち」、ガッツポーズによる「取り消し」に関することです。
以前 NHK BS-1で放映された「SAMURAI SPIRIT 剣道(ミラノ国際スポーツ映像祭 奨励賞受賞作品)」の冒頭でガッツポーズでの取り消しについては、取り上げられていますね。
これは格闘家のニコラス・ペタス氏(空手欧州選手権優勝、世界選手権5位)が8つの武道を実体験する番組で、とても素晴らしい番組です。

以下のブログは、この番組をみた方の感想・・・というより要約してくれている感じです。
番組自体はもう公開されてませんし、ようつべにもあるものではないので、なかなかみることはなかなかできないでしょう。
そういうことからも、番組内容を知るには良いブログだとおもっております、、、番組をご覧になってないかたは、より一層みたくなるでしょうね。

> 今日が一番きつかった(中年空手日誌):NHK BS-1 SAMURAI SPIRIT「剣道」をみた感想

この番組の剣道編で取り上げたガッツポーズのあとの取り消し云々もそうですけど、個人的にはその後の相手チームのよろこんだような拍手はいかがなものかなぁ、という思いも正直なところあるんですけどね。
しいては、剣道の試合で普通に行われていますが、相手に反則が与えられた時の拍手も一緒で、よろしくないものではないかと思っています、、、あ、これも「私見」です、はい。

さて、どういうことが起きたのかというと、3人制の団体戦で、先鋒勝利のあと、中堅が負傷による試合続行の不可能による勝利を得るということで、その瞬間にガッツポーズをしたとか。
それについての、取り消しはどうなのかということがとある講習会で話題になった、、、ということから話が始まりました。

では、まず「取り消し」に関する規則をあたると以下です。

『剣道試合・審判規則』
(有効打突の取り消し)
第27条 試合者に不適切な行為があった場合は、主審が有効打突の宣伝をした後でも、審判員は合議の上、その宣告を取り消すことができる。

『剣道試合・審判細則』
第24条 規則第27条(有効打突の取り消し)は、次のとおりとする。
1.打突後に相手に対して身構えや気構えがない場合。
2.打突後、必要以上の余勢や有効などを誇示した場合。

このようにルールから見ると、ポイント、有効打突に関して「取り消し」が適用されることなので、この事例は打突に関することではなく、「取り消し」のルールでは語れないマターとなってしまいますね。

ただ、ポイントで勝敗が決していくものであるのに、このようなことが起きた場合は結果的に「お咎め無し」になるなんていうのも、個人的、いや話の中でもみんな引っかかったのでしょうね、面白い議論が展開されました。

この場合では、たとえ、取り消したができたところで、続行はできないし、一本を取り消したところでなんら効果もないわけです。

剣道試合の目的については、以下のように規則第1条があり、「剣道の理念」に含まれる「剣の理法」が反映されることとなっています。
今回はこの剣道試合の目的、その精神性からは明らかに外れたものであるので、「お咎め無し」ということに誰もがスッキリしないんでしょうね。

『剣道試合・審判規則』
(本規則の目的)
第1条 この規則は、全日本剣道連盟の剣道試合につき、剣の理法を全うしつつ、公明正大に試合をし、適正公平に審判することを目的とする。

『剣道の理念』
剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である

では、、、どのように捉えていくといいのか???

この議論の中で、もうひとつでてきたのは負傷の場合の最後の礼法、終礼をどうするかということです。
頑として、ケガ人であろうと、抱えてでも納刀、最後の礼をしっかりとさせようとする審判、先生方もいるのは事実です。
一方、ケガ人だからやむなしという意見もあるのも実際のところです。

剣道の重要な思想として、あらためて、以下のことがあると思っています。

「礼に始まり礼に終わる」

そして、もうひとつ。

「刀をおさめる」

これは、身を納める、世を納めるということに展開する思想でもあります。

こういう思想からみて、終礼をしたとしても、人の手を借りての礼やおさめた場合は、その礼やおさめることの本質ができていないないと捉えたらどうでしょうか。
つまり、礼ができなかった、しっかりおさめられなかったということで、相手に不戦勝としてのポイントが付与されるというふうに理解したらいいのではないかということです。
そこまで、剣道試合であるってことで。

そうするとスッキリするような気がしてきます。
礼法を無理にさせることなく、ケガをした人の治療もすぐできますしね、、、医療的に常識的な対処ができます。

前述の「規則第1条」と「理念」について、詳細な解釈などは省略しますが、剣の理法の修練が人間形成につながり、それを試合に展開しようとしている意図がみえるわけですから、礼法・作法とポイントの連動くらいはあってもいいんじゃないかなとおもっています、、、「剣道」のルールとしては。

そう、「礼のできないヤツは負け!」っていう極論ですが。

あ、、、なんどもいいますけど、「私見」です、「私見」。

こわいのは、審判の趣向がでてきそうなので、合議かつ主任の判断をもってしっかりとして対処してほしいとは思ってます、、、もしやるならです。

また、こうしてもらえれば、審判が試合の判定という仕事をしつつ、礼法までの教育的な注意・指導をするという負担が減り、審判という本来の審らかに有効打突にかかることを判定するという業務に集中できると思うんですよね。

選手もポイントに直結するなら、うかつなことはできませんしね。
ほっておいても、このことの徹底には効果はあるように思います、、、ただ、これが教育的であるかどうかは別問題とさせてくださいね。

そして、最初にでてきたガッツポーズの事例への対処として考えるに、、、さらにさらに過激な意見になるかもしれませんが、、、以下の制度があったらどうかなと。

「没収試合」

「失格」

このポストの発端となった事例の試合後のガッツポーズも、ちゃんとおさめることができなかったことともなりますから、これも没収してしまうのもありかなと。
今回の事例の場合、本来は不戦勝であったとしても、その態度(ガッツポーズ、相手への非礼・無礼・欠礼)などがあったわけですから、この試合を「没収試合」にしてしまえば、「2-0の勝ち」が「1-0」になって、大将戦になるわけです。

「失格」という表現もありかもしれません、、、ただ、失格者と怪我による試合続行不可能を天秤にかけ、試合の優劣をつけるのはとても悩むところですが。

ただ、「没収試合」の場合、不利な方が自暴自棄みたいなことをして、没収してもらっての負けをなくす方向での適用は、当然ないと思います。
もし、そのようなことをした場合は、そのまま、一本負けを二本負けにするとか、さらにはサッカーのカードの累積のようにその選手は次からの数試合(全試合も含む)の出場停止とかでしょうかね、、、こういう時には「失格」ということでいいのかな。

あまり、言語のことは専門ではないので、こういう趣旨であると察していただけるとさいわいです。

また、このときネックになりそうなのが、試合場からおりると試合・ゲームが成立するという解釈ですかね。
柔道などのオリンピック競技でもそのようになっていて、この解釈は相当浸透しているんではないでしょうか。
監督・選手サイドからは、終わったものをとやかくいうなということになるかもしれないということです。

 

YouTube全日本剣道連盟より15WKC決勝戦の1シーン
YouTube全日本剣道連盟より15WKC決勝戦の1シーン

今年春にイタリアで行われた大会で、クレームがあるような場合は、礼をしない、試合場をおりないという行為、スポーツ競技としての一面を、剣道の大会でも垣間見ることができました。
情報・映像配信があったのでご覧になった方もいると思います。
これはこれで、競技としてみたら、ありうる事象であって、当然の権利かもしれないんですよね。

しかしながら、この礼をしないことに怒り心頭なコメントや感想が多かったのが実際です。
競技としての権利より、剣道としての美徳のほうが強いという、、、まだまだ興味深い競技であるんですね、剣道は。

> YouTube 全日本剣道連盟チャンネル:15WKC男子団体決勝戦 日本-韓国

それならそれで、前述のように、試合・ゲーム自体は終わってるかもしれませんが、礼でしっかりおさめることができなかったらダメであるということにしてしまうってのもありだろうなと。
そこまでできたら、あの試合、コメントの多くに対しては、結構スッキリしたかもしれないですよね。

ドーピングチェックとかで引っかかったら、あとから競技成績はなくなるわけです。
だから、これもこれで、特に剣道はこの手に関することで、試合後に判定に関するオーバーコールすることもあってもいいのではないでしょうかね。

ただ、純粋に適用されなければ、とっても危険なことでもあるんですけどね、、、(汗)

以下のポストに昔かいたように、やはり第3者に委ねることが競技のスタートです。
審判が絶対ということでもないんですが、それなりにやっぱり委ねないと競技はできないんですよね。
審判が選手のために一生懸命にやるのは重要であり、当然なのですが、なんでもかんでも選手中心というのもどうかなぁというのが、このへそ曲がりの感覚です。
そして、その競技がいいものであるというのであれば、なぜ選手間でセルフジャッジで決めれるまで、進化・深化していかないのかなということ、、、この話はここまで。

> 拙ぶろぐ: 審判をして…「日々是勉強」

そして、ついでに脱線します、、、ダメなことはダメということに関して。

剣道では、反則の相殺というのがあり、それ自体、わたしは気になっています。
以前、柔道では両者反則負けってのもありましたよね、、、悪いものは悪いんだから、両者とも悪いなら、悪いでいいだろうと。
本来、反則はどちらかが悪いから存在するんだろうけど、両者とも悪いって言っちゃうのが、武道っていいかもしれないです。
また、どっちも2本取られちゃって、三本勝負という算数からはイレギュラーになるかもしれませんけどね。

さらには、子供の大会とかで、場外反則はとらないというようなローカルルールを実施することもありますが、これも気になっています。
早い段階から悪いものは悪いってしたら、いいのではないかなと思っていたりもします。
とくに子供に対して、悪いものは悪いと教えること、「白紙の心」 という話を持ち出せば、変な色を塗らないほうが、健全だと思ってたりもします。

ただ、、、わたし自身が、決して正しいこと、いいことをしてきたわけでもないので、ココらへんは自分をおもいっきり棚に上げて話しています、はい、思いっきり自省こみです。

さて、、、こういうことを書いてきて、こんなルールはどう?といってきたんですが、、、
規則から「礼」の強制みたいで、あまり好きではないなぁ、どうなんだろう、、、って、このポストを全否定するような、浮気ゴゴロを持ち始めています、、、はい、自省してますが、自制はできなそうです。

ということで、ココらへんにしましょう。
相変わらずですが、まとまりもなく終わることになりますね、すみません。

礼については過去に以下のようなポストも書いています、、、この程度ってのはむずかしいところです。
とくに国際的なことを考えると、これは国によっても違ってきますし、、、ああ、この点については、国際化というより、日本的なことの国際普及だということですから、いいのかな。

> 拙ぶろぐ: 過ぎたるは、、、「礼」からの一考。

今回は礼からの2考目だったんですね。

結局、このポスト、おさまることがないまま失礼しますね、、、没収していただいてもいいですし、ブロガー失格でもいいです、おゆるしあれ。

さらに雑談。
とあるところでは、とある大会の情報配信をおこない、新機材に悩まされつつも、大会中にすべての資料をそれぞれにアップして(写真=Flickr、記録=ブログ、映像=ようつべ)、閉会式とともに、宿題なしで仕事すべてを終わって撤収という夢の実現をめざしました。
結果、仕事に関しては「たいへんよくできました」のハンコをいただけると思いますが、疲れました、マンパワーがもっといるかもですね、、、スタッフ募集かな(こんなあつっくるしい会話に入れるという条件がありますけど 笑)。

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