今回はすこし道具の構造について。
剣道具だけの話ではないと思いますが、こういう工程、過程も知っていただきたいと思います。
剣道具はハンドメイドでつくられる部分が非常に多いのは事実です。
ゆえに、縫い方などそのテクニックが非常に重要で、一部の剣道具師さんが神格化されていることもあります。
たしかに、裁縫の技術については、ミシンのない時代の人が総じて上手なこともあるかとは思います、、、こんなこともあり、「昔の職人さんはよかった」などとなることすらあります。
材料の今昔もあるでしょうね、これは、、、ただ今に生きる自分たちがこう言ってしまってはどうなのかなということなんです、、、他のスポーツではいろいろと開発がされているんですけどね。
ただ、現状の剣道具の工程を考えると、縫うこと自体は「基本」であり、絶対的に重要であることは忘れてはなりません。
しかしながら、いくら縫いが上手で、「いせ」のとり方が上手くても、「型」が重要となってくるはずです。
こういう開発を含めて「ものつくり」の名人といえましょうし、いまの職人さんたちも創意工夫され、進化もしていることと思っています。
以下ぶろぐも参照してください、小さくても長年かけた変化もあるんです。
まず、「いせ」という言葉ですが、、、いまはあまりしられていないのかもしれません。
いせ=イセル連用形=縮縫=立体感演出のために見えぬ箇所を細かく縫いチヂメル方法。ギャザーがよらない程度にぬい代を縮める。
裁縫で、長短2枚の布を縫い合わせるとき、長い方を細かくぐし縫いし、縮めて丸みやふくらみを出す。いせこむ。「袖山(そでやま)を―•せる」
「いせ」をとるということは、、、剣道具では以下のことが簡単には考えられますね。
1)湾曲した道具を作り出す手段:個々人のカラダにフィットさせるように。
2)表側と内側の長さの違うものを縫い合わせ、膨らみを出すこと。
布団に関しては、研究上、刺し目がひろく、芯材が綿など、空気を多く含むことが衝撃緩衝能力を高めると、「空気」との関連性が示唆されています(以下も参照)。
このように「空気」が衝撃緩衝の効果があることと関連して、「いせ」についても衝撃緩衝と絡めて説明することもあるようですが、この点は今ひとつ合点が行きません。
前述のとおり、「いせ」の効果としてはフィットしたものにすることと、衝撃緩衝材を入れるための空間をつくることで、「いせ」自体がまず衝撃緩衝ではないということです。
「空気」をいれてもこの方法だけでできた空間はつぶれやすいものですから。
そう、コテなら、手に触れる部分と表側になる部分、大きさの違うものを「いせ」て縫いあわせ、そのできた膨らみ(空間)に、毛を詰めていくということになります。
この詰めた毛の質や量との関係が衝撃緩衝には重要であり、さらに使いやすさで考えると、手の動きと方向などの毛の詰め方の関連などいろいろとあるかと思います。
まぁ、空間づくりができなければ、衝撃緩衝にならない場合もあるのですけどね。
> 拙ぶろぐ:古人の知恵「剣道具材料編」:ヲタクっぷり[2]
昨今では、「いせ」をとりながら縫うミシン(機械)も出てきています(ヒトが設定はするのですが)、、、道具は使いようということで、製作過程にもいろいろな可能性も垣間見ることができると思っています。
さてさて、、、服でも、バッグ・かばんでは、「型」もかなり重要とされています。
多くの洋服屋にしても、かばんのブランドにしても、この「型紙」を「命」や「秘伝」みたいに扱われますよね。
簡単にいえば、右図です。
「型紙」とは、「平面展開図」といえましょう。
つまり、この「設計図」から、「立体」である道具が作られるのです。
剣道具においても同様です。
ある剣道具師さんから、修行の段階で「型紙」をなぞったら、親方にぶん殴られたなんて話も聞いたことがあります。
それほど、大切に扱われ、道具の根幹となるのに、この使い手・ユーザー・プレーヤーが無頓着でいるのも事実です、、、あ、売り手も無頓着な方もいます(これは問題です)。
また、スポーツなどで使われる動くための道具をつくるということは、なおさら、このおおもとを研究しないといけないと思っています。
冒頭の写真は、サイエンスチャンネル「THE MAKING:(156)剣道具ができるまで」というインターネット上の番組に公開されている番組の1シーンですが、伝統的な道具であるコテがこのようなパーツでできているということが理解してもらえればとおもっています。
これらパーツのいろいろな向きや幅をしっかりと研究して、さらには各人の手の大きさなどにフィットしたものをつくっていかないと、いくら縫い方やいせの取り方がうまくても動く・動かすための道具づくりとしてはいいものにならないことは自明のことと思います。
まぁ、この時点でどういう「型」がいいなどと、わたしもユーザー側なので、、、仔細はわかりません。
開発者、剣道具師さん達の工夫研究と説明に委ねたいと思います。
<極論その1>
野球でいうような「イチローモデル」とかが出てきてもしかるべきなんですよね、、、剣道なら「宮崎モデル」、いまなら「高鍋モデル」かな、、、使いこなせないかもしれませんけど。
でも残念ながら、現在の剣道界では、多くはどんな選手でもある程度あわせて作られた道具を自分で合わせている状況なんですよね、、、(皮や布の製品だから出来るのですが)。
<極論その2>
「型」がよければ、剛体でつくっても動ける道具が できるんではないかと、、、いせることができないのでムリか?!
また、人間の動きはそんなに単純じゃないでしょうからこういう観点からもムリですね、、、ただ求めてもらいたいものです。
このように道具の製作上の構造について触れてきましたが、スポーツ業界でここまで技術革新の少ない競技は剣道くらいではないでしょうか、、、
これは、ここウン十年の話としておきます。
竹刀で実践形式の剣道が始まってからとてつもなく大きい革新があったのも事実です。
一方、昨今の科学をあまりとりいれていないと言えるのも紛れもない事実ですよね。
それだけ、すでに、剣道具が完成形であり、仔細な工夫研究がされつくされているということもできましょう。
ただですね、、、使い込んでからが使いやすいとか、「慣らし」 という使う側の感覚があるのも事実ですし、本当に完成ではないんだろうと個人的は考えていたり、、、
一方、他の競技をみた場合、、、道具の革新・開発が、最新の科学の叡智をしぼり出すように盛り込まれています。
したがって、剣道でももっとなにかアクションかけられるんじゃないかなと。
剣道でここウン十年で変わったことといえば、糸が木綿から化繊、鉄(面金)がジュラルミンやチタン、竹がプラスチック(胴、ただし竹が高級品と珍重される)、カーボン(竹刀、普及しない)になった程度でしょうか。
やはり私見としては、、、
「もう昔のような材料は手に入らない、継ぐ職人がいない」なんていっているのだし、どんどんいろいろな材料などが開発されているのだから、もっともっとトライもありかなとも思っています。
そう、時代の流れに対応しつつ発展してこそ、伝統文化と言えるんじゃないかなと思いを巡らせたりもします。
そして、ここであらためておさえておかないことがあります、、、レギュレーションです。
スポーツに関する道具はいろいろと工夫すべきといっても、レギュレーションを超えてはいけません。
つまり、競技成績に係ることや安全性にかかることを担保しているのが規則やルールということですので、これを遵守しないといけません。
剣道では、、、『剣道試合審判規則』等で、大まかな絵で道具に関しては、レギュレーションが定めているだけです(以下参照、全日本剣道連盟HPより)。
この範囲での工夫になるのですから、業者や職人さんたちは、現状改革を考えるにはかえって大変なのかもしれません、、、といって、昔がいいといっていては話になりませんけどね。
いや、逆で、細かいことを指定されていないので、考えやすいともとらえることもできますね、、、
とにかく、競技力が距離や時間というように数値化しない競技であるため、その介在する道具の工夫のよしあしが表面化しにくいのも事実かなと思っています。
ただ最近では、いろいろな職人さんや業者が、小手や胴などの形状の工夫をしているのも事実ですね。
もっともっと活発になってほしいと、せつに祈っております。
『剣道試合審判規則 http://www.kendo.or.jp/kendo/rules/rule1.html 』
第4条 剣道具
剣道具は、面、小手、胴、垂れを用いる。『剣道試合審判細則規則 http://www.kendo.or.jp/kendo/rules/rule2.html 』
第3条
規則第4条(剣道具)は、図3のとおりとする。(後略)
あらためて書きます、、、道具に関しては使うユーザーがいるということです。
そのひとの大きさに適合していないとなにもはじまりませんし、技術(カラダの使い方)にも対応すべきでしょう。
コテで言えば、ちいさければ動くのには適していませんし、おおきければジャマになることもあります、そして、個々の関節や動きにあわせることも必要となりますね。
こういうことをしっかりとすることにより、「安全性」と「使いやすさ」という背反しかねない二物をもとめるられることになりえましょう。
制作サイドとしては、縫うことの個人の技術を求めるのは当然かと思いますが、上記の背反するようなニ物をもとめるための根幹の「型」の研究も求めたいと思います。
さらには、制作の手順などの方法論を、しっかり残せるものは残して伝承して、「再現性」の高い「ものつくり」システムを構築していってもらいたいものですね。
コテの「型」は、まだ素人のわたしでも「平面展開図」として、まだ理解しやすいといえます(完全に理解しているわけではありません)。
しかし、メンは、顎、面金、内輪、布団、生革、、、などひとつひとつが大きく、コテよりは少ないパーツを縫い合わせ、立体である道具となっていくので、これはイメージしづらいなと思います。
職人の技がよりでるんだろうなと、、、まぁ人間の感覚としては手ほど敏感じゃないからいいともいえましょうが。
ただ、製作過程としての、とくに名人、名剣道具師の感覚はできるだけ明文化されるといいなぁと思っています。
素人が読んでもわからん記述でもかまいませんのでね。
こういうのがしっかりと残ってくると、「ものつくり」としての再現性の高さが出てくると思いますしね。
いいものが安定してできる、、、ユーザーはバンバンザイですから!!!
あっ、剣道の実技面も一緒だな、、、
いわゆる戦前の先生方の指導などは口伝ばかりで、あまり残っていないよな。
伝言ゲームは精度を欠いたりするしね、ウーム。
と、最後は技術論や指導論みたいな話になってしまいましたが、道具について少々別の見方をしてみました。
ユーザーとしては、原材料費だけでなく、こういう開発に感謝していけるようになりたいなと思っています。
って、以前のネタの繰り返しみたいにもなっていますね、お許しあれ。
そして、毎度で申し訳ありませんが、これがいいという結論はありません、あしからず。
それは、今日でこのようにインターネット上でこのような興味深いトピックを見つけるために良い感じ。私は非常にあなたが共有し、私たちと一緒に投稿したものと興味があった。とにかくこれのおかげ。
mephedrone
とあるヒトにコメントします(笑)
「いせる」ということでは、柔道のことですが、こんなネタもあります。
いまは、柔道衣の規制もルールがありムズカシイのかもしれません、、、
ただ、今はなき岩崎(?、だったかな)という柔道衣店では、襟をいせて取り付け、首に密着して、奥襟を取りにくいようにつくるなどの職人技があったと聞いています。
とにかく、職人さんといろいろと自分のパフォーマンスを創り上げていくようなことがユーザーにもあるといいなぁ、、、そして、こういった開発や手間などがあるわけで、いくらのものをいくらでとか、安くたたいて買うなどとは違うようになってほしいなぁというのがこのぶろぐをとおしての思いなのですけどね。